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2016年2月 7日 (日)

日記:ゴダールが観られて幸せだが

日記:ゴダールが観られて幸せだが

過日、刈谷日劇でゴダールを観る。
映画史上、燦然と輝く巨匠のゴダールである。
ゴダールといえばここら辺では名古屋のシネマテークあたりで上映されてきた。
映画ファンには有名だが、どうにも敷居の高い監督で、身構えてしまう。
それが刈谷日劇で「ゴダールでござーる」なのだ。

上映作品は『女は女である』と『女と男のいる舗道』。
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1961年ごろの作品なので5,60年前だからずいぶん昔の映画なのだ。
自分が小学校にあがったかどうかの頃、こんな映画があったということ。

スクリーンではきれいなお姉さんがコケティッシュに魅力を振りまいている。
片や娼婦であり片や24時間以内に子どもを授かりたい、なのだ。
観てから数日たったのでどちらがどうだということもごっちゃになってしまった。
主役のおねえさんは同じでアンナ・カリーナ、ゴダールのミューズらしい。

映画監督には心底ほれ込んだ女優さんが付き物なのか、制作過程でそうなるのか。
大島渚には小山明子、園子音には神楽坂恵、新藤兼人には乙羽信子とか。
光り輝く魅力を見つけるのも、磨いて輝かせるのも監督の腕なんだろう。

ゴダールの映像にはカメラの動きや編集でとことん映画の可能性を追求するという。
今ではだれもが普通にやっていることも元をたどれば彼が先見的に始めたとか。
音楽を含めて音の入れ方も凝っているような感じがする。

それにしても当時のパリ、花の都のあのパリのシャンゼリゼなのだ。
まるで距離的にも時代的にも遠くて、何よりも知る術もない世界の出来事。
そこで繰り広げられる女と男のいちゃいちゃ。
意外とドン臭いし、スマートでもない。
あんなのに恐れおののいていたのかな。
ジャン・ポール・ベルモンドもそこら辺のあんちゃんと変らないぞ。

先に刈谷日劇でやっていた『冒険者たち』のアラン・ドロンよりフランスでは人気があったなんて。
というかあの作品のほうが繰り返しみながらも夢や郷愁などいろいろと感じられた。

ということでなんやかや、ゴダールは苦手だな。
ただ名画座として、いろんな作品をばんばん上映してくれる刈谷日劇さんには感謝だ。
スクリーンでゴダールが観られる機会なんてそうそうあるものじゃないからチャンスは逃すな。
2月12日までやっている。

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