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2020年10月

2020年10月27日 (火)

山歩き:御池岳詣2020秋

山歩き:御池岳詣2020秋

一年ぶりの鈴鹿、紅葉を求めて恒例の御池岳詣をする。
なんだか病で気分が乗らないまま惰性で来ることについては反省。
晴れの天気予報にも逆目で翻弄され、濡れた泥んこ道を歩く。
奥ノ平から南部を右回りに淵に沿って散歩し記憶の上書きをする。

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【山行日】2020年10月25日(日)    
【山 域】鈴鹿北部:御池岳
【天 候】ガス曇り霧雨のち薄晴れ
【形 態】周回 単族 軽装
【コース】鞍掛峠東側駐車地、起点
P7:21--7:36コグルミ谷登山口--8:23カタクリ峠--9:07丸山--散歩、奥ノ平・
南部エステイト・淵や池の定点観測--11:22鈴北岳--11:56鞍掛峠--12:11P

御池岳で困るのは駐車地のこと、竜と御在所とここはいつも三密。
もうひとつの心配事は天気、下界で晴れていても山の上は気分屋。
滑りやすい土壌と濡れた笹や草原はローファー靴には辛いのだ。

鞍掛峠東の駐車地はぎりぎりなんとか空いていた、単なる幸運。
それにしても変な間隔や横着な駐車が多く、後の車のことを考えてほしいな。
両隣の車のナンバーを見ると、「神戸」「香川」ほかに「堺」とか!
下山時には路駐がたくさんあったから、人気の山はおそるべし。

用意して出発、まずは車道をコグルミ谷登山口へ下っていく。
三重県側から入山する御池岳、コグルミ谷コース。
人は多くても静かでそれなりに整備された急な道を上がっていく。
粘土質の土と石灰岩と木の根っこの道は湿っていてとても滑りやすい。

五合目を過ぎると急斜面になり、登山道はジグザグになる。
秋は足元に凝集されていて、栗の抜け実や落葉がたまっている。

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人気者の君だけはモデル慣れしてお疲れ、もとい元気様です。

六合目カタクリ峠を過ぎると緩やかな尾根道になり御池の秋を感じる。

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七合目・八合目もそれなりの黄紅葉で、積もった落葉を踏んでいく。
そして、ここ。

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ここを通るといつも、御池に来たんだという気持ちになる。
苔の谷道を過ぎて三叉路の分岐を丸山に向けて上がっていく。
苔だけは青々しているが、滑りやすい道は泥濘そのものでぐちゃぐちゃ。
ぬかるみに足を取られ、気を抜くとずるっと滑り落ちる。

ガスの中とりあえず山頂の丸山へ、一応、御池岳の最高点。

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石積みの山頂は、ふだんは北に展望が開けるが今日はなし。
先客はみなさん同じ道を下っていくが、何を急いでいるのか。

ここからはいつも通り、御池テーブルランドの散歩に移る。
霧雨で濡れた草が汚れた靴とズボンのすそをさらに湿らせていく。

奥ノ平方面へ向かうと左下から先ほどの若者たちがあらわれる。
わざわざいったん下らなくても、すぐに行けるのに。
見れば、彼らの手元にはスマホ。
そしてすぐ先の開けたところでもう腰を下ろしてザックをあけている。
小物や火器と食材など、キャンプ調理か?

奥ノ平の象徴はオオイタヤメイゲツより健気な1本ブナだ。
てっぱん君が言ってたな。

奥ノ平南峰から見わたしてもよどんだ天気でいまひとつさえない。

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道があるようで薄い踏後だけの、濡れたシダ類の繁茂する草原。
ここ数年はすぐにまゆみ池方面へ向かっていたが惰性はだめ。

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南部エステイトもとい南部不動産もとい御池ワンダーランド。

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しっかり開発されている。
すぐにでもタワマン並の展望絶佳、豊かな自然生活ができそうだ。

庭も花壇も、両肘ついた盆栽もあるでよう。

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土倉岳を見下ろす。

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下り口というか、御池への上り口からは道ができている。
おお、日が出てきた、映えるね。

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ボタン岩の紅葉は趣があるのに、また曇ってしまって残念。

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まゆみ池も遠目でないとさえないんだから。

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定点観察重要地点の幸助の池。
ここで再び光に照らされる、太陽のめぐみ、もっと光を。

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ボタンブチ、天狗ノ鼻に孤影。

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ボタンブチから臨む秋色。

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琵琶湖方面。

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そしてずるずる滑る道をおそるおそる進み、道池慕情。

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鈴北岳に来るとそれなりの天気になり360度の眺望だが、遅い。

最後は鞍掛尾根をちんたら下る。

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鞍掛峠からの下りは急で要注意だが、傘やんの休憩場に寄る。

今年もなんとか御池詣できたが、喜ばしいで済ませては遺憾と。

 

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2020年10月25日 (日)

山歩き:蒜山三山縦走

山歩き:蒜山三山縦走

蒜山高原は牧場や娯楽施設が集まる一大観光地。
休暇村蒜山高原に宿泊、部屋の窓からは正面に蒜山三山が見える。
旅先でのちょっと山歩き、中国地方の蒜山三山を縦走し秋を味わう。

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【山行日】2020年10月20日(火)    
【山 域】中国山地:下蒜山、中蒜山、上蒜山
【天 候】曇り時々晴れ
【形 態】縦走 単族 軽装
【コース】犬挟峠から三座を縦走し休暇村へ
下蒜山登山口9:44--10:53下蒜山--11:42フングリたお--12:24中蒜山12:33--
--13:23上蒜山--13:44八合目(槍ケ峰)14:23--15:02百合原牧場--休暇村

中国地方のここ周辺の山の定番は大山と蒜山。
旅先でのちょっと山歩きが全国の山を股にかける遠征登山のようで歯がゆい。

ずっと以前から開けた高原の観光地として有名だった蒜山。
牧場の先に見える整った山々が蒜山三山(上蒜山・中蒜山・下蒜山)。
標高こそ上蒜1202m、中蒜1123m、下蒜1100mだが標高差は690m。
登山口から下山するまで距離があり、累積標高差は1186m。

見るからに登攀意欲をそそられる存在だが、縦走なので面倒がある。
下山してから、はじめの登山口に停めた車までの足の確保である。
元気な人なら歩けばいい、物持ちなら自転車持参、金持ちはタクシーほか。
これが厄介なので今までものぐさな自分は敬遠することが多かった。
ただ今日は、登山口まで送ってもらえば帰りは歩いて戻れる、ラッキー。

出発地点の犬挟峠近くの下蒜山登山口までは送ってもらう。

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コースの説明板に東屋もある登山口・駐車場は豪華である。
木道はすぐになくなり尾根に上がるまではいきなりの急登である。
それらをこなして五合目に出ると一気に世界が開ける。

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前方に下蒜山が見え、そこに向かう道が開けている。
しっかりと切り開かれ、よく整備された道は稜線歩き気分を盛り上げる。
少し歩を進めるだけで最初の目的地がどんどん近づくのがいい。

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壁のような急な上りになり息を切らすようになると、後ろを振り返ればいい。

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自分の歩いてきた道筋が見え、少しの達成感が得られるのである。

最初の頂へ、と思ったら残念、ニセ頂上の九合目だった。

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もくもくと進めばやがて開けた頂に出る。

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ベンチで休む先客、その向こうには中蒜山、その右奥に上蒜山。
そのもっと奥には大山もかすかに見えている。

先は遠いが、なだらかな道を進んでいくと樹林に入る。

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この縦走路には随所に樹林帯があらわれ、これがちょっとした安らぎになる。
少しの森を抜けて視界が広がると中蒜山へ続く道がはっきりする。

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振り返れば、下蒜山と通りぬけてきた樹林帯の小森など。

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ふんぐりタオ815mは下蒜と中蒜の最低鞍部で、少し意味を持たせた感じ。

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ふたたびあらわれた急な上りをえっちらおっちらこなすと視界が開ける。

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中蒜山山頂方面の建物は避難小屋らしい。
山頂はかなり広くてベンチも多く、おじさんたちがくつろいでいた。
山頂標識をデジカメると、あらまあ向こうには上蒜山が写っている。

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道は裏側へ下りていく感じで、上蒜山への道のりがはっきりとわかる。

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ずんずん下る、眺めのよい稜線、癒しの樹林。
そしてはっきりと上蒜山への方向性が。

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振り返れば、中蒜山の大きな山体と秋を物語る色合。

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最後の上りは同じように辛かった。

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なんとか坂を乗り越えて後ろを振り返ると。

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秋の味わいの向こう、右手前に中蒜山、左奥に下蒜山。

しばしの歩みで静かな上蒜山山頂へ、ただ展望はなし。

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奥の三角点には興味なし、休憩もここではせずに先に進む。
下り始めると、ブナなどの豊かな樹林に入る。

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そこを抜けて振り返れば、上蒜山山頂一帯の秋姿。

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下りはほとんどまっすぐの一本道。
ずんと開けた先が八合目こと槍ケ峰。

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ここで休憩。
眼下に広い蒜山高原、稜線に目をやれば歩いてきた山並み。

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ここまで人にはあまり会わなかったが、ヘビは五匹と多かった。
朝方冷え込んだこともあり、日中、彼らは日向ぼっこに出てきたらしい。
そこへ熊鈴の音。
ここの縦走は2回目という広島の方で、昨日は大山ユートピアだったと。
全国を股にかけて山を登っている活発な人で、ぽんぽん山の名前が出てくる。
9月の連休には御在所と御池へ来ていて、遭難捜索隊とも鉢合わせしたとも。
珍しく人と話し込んで、長い休憩になった。

下りは豪快そのもの、広い視界の中、一直線に下っていく。
振り返れば同じく、以下同文。

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ふもとに近づくと残念ながら暗い人工林になり、段差の大きい階段。

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それも下山口(上蒜山登山口)を過ぎれば、牧場の広い道になる。

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ただこの道が長い。

 

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2020年10月23日 (金)

山歩き:紅葉の伯耆大山へ

山歩き:紅葉の伯耆大山へ

旅先でのちょっと山歩き、中国地方は伯耆大山の紅葉を見る。
日夜崩落の激しい山体だが植生の豊かさと歴史の重みはずっしり。
西日本の人気観光地として名実ともにその大きな存在感を感じる。

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【山行日】2020年10月19日(月)    
【山 域】中国山地:大山(弥山)
【天 候】曇りのち晴れ
【形 態】一部周回、往復
【コース】夏山登山道~元谷
夏山登山口10:02--10:48五合目--11:42弥山--12:35行者谷分れ--
--元谷--13:21奥宮

今回の旅行は浅ましいとはいえ、例の強盗騒乱~を利用する。
三泊四日の実質二日で、休暇村奥大山と休暇村蒜山高原に宿泊する。

約50年前の学生時代、電車とバスで一度だけこの地へ来ている。
休暇村へは寄っただけで、学生の貧乏旅行では宿泊などできなかった。
先に蒜山高原へ、当時も人気の観光地でとても居場所はなかった。
流れて大山鏡ヶ成(現在の奥大山)へ、少し落ち着きジンギスカンを食べた。
途中で知り合った九大のN君と、社会問題や学生運動を喧々囂々。
だれかに「大山ならすぐに登れるよ」なんて言われたのだが、興味すらなかった。

前日の日曜日、長い道のりの高速で事故渋滞もあったがなんとか15時過ぎに到着。
受付で山のことをたずねると、しげしげとこちら(後期高齢者)を見て言う。
近場の擬宝珠山・象山なら小学生でも歩けます、大丈夫ですよ。
烏ケ山(からすがせん)は中級ですから、時間的にもちょっとお勧めできません。

ということで、擬宝珠山と象山をえっちらおっちら、夕日を浴びて歩く。
軽い気持ちで臨んだが、豊かな樹林に展望も優れ、十分に満足する。
山陰のマッターホルンと呼ばれる烏ケ山といえば、ずっと頂を雲が覆っている。
えーい忌々しい、姿も見せず無礼な奴、嫌いなヤブ漕ぎもあるし。

翌日、行き先を悩みつつ、相棒を「とっとり花回廊」へ送る。
となると、観光の合間の山歩きは必然的にここ大山になった次第。
天気予報は徐々によくなるとのこと、遅い出発は好都合かも。

ふもとの大山寺は一大観光地で駐車場もたくさんある。
主流は当然お寺参りの人々だが、大山登山の人もなんだかとても多い。
登山届の予定コースには、ア:夏山登山道往復、イ:夏山登山道~元谷、
ウ:下宝珠越~ユートピア、エ:その他、となっている。
初めての山で、準備も万全ではないのでイを選択する。

登山口に入ると、まっすぐの道がずっと伸びている。

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しばらく進んでも、前にも後ろにも人っ子ひとり見えない、なんなんだ。
よく整備された道は、ずっと上り一辺倒。
ここまで整えられた道は知らんとぶつくさ言うとやっとひとり、見つけた。

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自分のペースを守りつつ、ひたすら黙々と進む。
四合目を過ぎたころから樹相が代わり、紅葉が目立つようになる。

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時折、青空も見えるようになり、気晴らしになる。
すれ違う人も増えてきて、六合目ではお祭り状態、若さっていいなあ。

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この時刻だから下りて来る人も多く、団体さんに足も止まる。

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あれだけの数だと、山頂の崩落が3センチぐらい進んだのではないか。
よからぬことを考えていると、おっと。

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左手に視界が開けてきて、大山の鋭鋒の数々や北壁を見る。

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九合目の手前で山頂ループの木道になり、歩きやすくて気分が乗る。

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これがイチイやアララギの一種、ダイセンキャラボクね。

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あまりにうまそうなので一粒だけ口に運ぶ。
甘いねえ、毒を含む種はきちんとぺっ。

山頂らしき一帯が見えてくる。

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小ループを右回りで回る。
休憩スタンドとか木製桟敷席は山を楽しむ観光登山者でいっぱい。
きょうびの若者は火器を使う調理スタイルが大好きなようだ。
山頂から俯瞰する。

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弥山山頂から縦走禁止区間と剣が峰を見る。

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崩落防止で縦走は禁止だが、壁からの登山者は多いらしい。
そんな人々でヤマップやヤマレコは盛り上がり、一部お祭り状態らしい。

山頂から下界を見る、ガスでどうしても霞んでしまう。

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折角、霊峰大山に上ったのだが、いまひとつ気分が乗らない山頂だこと。
下りは山頂大ループの石室方面へ進む。

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かなり高度を下げていくのである意味がっくりだが、意味のある楽しい歩きだ。
石室や梵字ケ池、植生を見るこの木道歩きがなかったら魅力は半減する。

下りは上りと同じ道だが、とにかく足元に気をつけながら下りていく。
滑りやすいし、すれ違いも危なっかしい。
六合目を過ぎ、色めく五合目に近づいて分岐を右にとる。

行者谷道に入ると世界は一変する。

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道は狭くて急な階段になりきついが、目に入ってくる色がいい。

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色づいたクロモジやナラ、ブナが整列して迎えてくれる。

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それがずっと続く。

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経験の少ない自分だから説得力はないが、こんな豊かなのは初めて。

荒れた枯れ沢に出るとそこが元谷。

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逆光の北壁を正面から見る。

その後も樹林帯は続き、緑の多い、いわゆる巨木が加わる。
そして一段と大きな樹木の向こうに建造物が見えると登山道は終了。

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大神山神社の聖域になり、少し奥にはいると下山神社。

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なんかできすぎ。
その後も長い長い参道を下っていく。

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大山寺から休暇村への帰り道、展望台から烏ケ山や大山を見る。

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こんな時だけでも天気に恵まれてよしや。

ちょっと山歩きで、こんなに満足できるなんてありがたや。

 

 

 

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2020年10月11日 (日)

読書日記:エンタメ作家、勝目梓を悼む

読書日記:エンタメ作家、勝目梓を悼む

コロナ禍で行動が制限されるなか、よくするようになったことに読書がある。
文字を追うとすぐに目が疲れるし、集中力も衰えていて内容把握も散漫。
でも自粛生活というのが元来好きで、社交性のない自分にはこれがいい。

終活という身の回りの整理を少し意識し、たまりにたまった本棚を見る。
箱詰めしつつもそれぞれの本に未練があり、開いて読んでは手が止まる。
読んだことは覚えていても内容は覚えていないので再読しても新鮮。
処分しても二束三文、場所が取られるのは不満だがそのままにする。

読書といえば教科書や文学史に載っている作家が中心だった。
森鴎外や国木田独歩、下村胡人と井上靖、それから太宰治、・・・。
高校のころは開高健と大江健三郎、ジッドやカミュ、ノーマン・メイラー。
ヘミングウェイやヘッセ、いっとき話題になった三島由紀夫や庄司薫はちょっと。
それなりに楽しんでいたし、恰好をつけて無理して手を出していただけかも。

その後は徐々にいろんな作家を選んでいく。
ある作家を気に入ればその作家の作品をとことん読む。
その作家のよさがわかっているので安心して浸る、読み心地がいい。
椎名誠や村上春樹、桐野夏生、奥田英朗、そして阿部牧郎。
脈絡も思想性もなにもない、食いついてみて美味かったから。

何十年も前、新聞に連載されていた沢木耕太郎「一瞬の夏」。
当時はいつも次の日が待ち遠しかった。
これで味をしめ新聞のその欄に目をむけるが、満足して読み通せるのは少ない。
最近では奥田英郎「沈黙の町で」、重松清「ひこばえ」がよかった。
少し前の浅田次郎「椿山課長の七日間」も心をつかまれた。

スポーツ新聞の連載小説となると話がずれる。
物語の筋を追うのではなくその時その場の盛り上がりを味わう。
電車の中などで挿絵付きのそこを見ているとちょっと恥ずかしい。
ただ短い文章の中にきちんと山場(濡場)を収めている。
宇能鴻一郎や川上宗薫そして本題の勝目梓って、それだけですごい。

長い前振りのもと、ここからようやく本題。

去る3月3日に心筋梗塞で死去した勝目梓(享年88歳)を悼む。
戦中と戦後の時代をそれこそ必死に生きた世代だ。

1932年生まれの彼は鹿児島の高校を中退し17歳で長崎の炭鉱に入る。
落盤の危険と隣り合わせで石炭を掘り、その後結核で入院療養する。
そのころ文学に目覚め、妻子を置いて単身上京し、職を転じながら努める。
いっとき芥川賞や直木賞の候補にあがるも限界を感じて純文学を離れる。
同人仲間の中上健次や森敦の特異な才能に打ちのめされた、と。
その後は性と暴力を中心とした娯楽小説を書くようになり、そして売れ出す。
原稿依頼も増え、月に千枚以上を量産する流行作家となる。

流行作家といえば今では直木賞系の売れている作家が多い。
雑誌などに連載を持ち出版点数も多く、文章だけで贅沢のできる人のことだ。
芥川賞系の純文学作家でも売れていなきゃサマにならないのが現在。
教科書や文学史、入試に出るから偉いとはホンの一部の評価でしかない。

ところで勝目梓は、純文学を志していた。
そして40歳で純文学と決別する。
本人にとってはとても手痛い挫折なのに、転向とか堕落みたく。
昔人間の自分もそうだが、当時の感覚では屈辱だったのでは。
厳しい試練に負けて、安易な方へ逃げ出すようなものだと。

ところがあろうことか、逃げた先で売れてしまう。
売れるということが、とても後ろめたいような感覚であった時代。
自分の書きたいものを書けず、注文されたもの(売れる文)を書く。
出版社や雑誌社、読者の趣向に沿ったものを期限までに書く。
気分がのらないとか文学ではない、などという戯言ごとは通用しない。

これって音楽の世界でもよく聞く話だ。
自分とか自分たちの好きな音楽をやりたいなどとのたまうミュージシャンは多い。
でもプロとしてやっていく時それが通用するのはほんの一部の才能ある人のみ。
今売れてる人は、裏でとことん妥協し涙を流しているのかもしれない。
自由気ままに言いたいことを言ってやりたい放題さんは見かけだけかも。

話を勝目梓に戻す。

著作は300冊ほど、売れっ子のころの作品はそれなりに気楽に読める。
「セックスとバイオレンスの作家」という看板そのもので十分に楽しめる。
あくまで読んでいる合間を楽しむモノだからすぐに消えていく文章群でもある。
ある時間を楽しむだけ、それはそれでとても貴重である。
ただ、彼の晩年のを読むとその考え方や感じ方が変わり始める。
図書館でいつのまにか閉架に移され忘れ去られていくのは惜しい。

まだ開架にあった晩年(60代~80代)の数冊を読んだのが昨年のこと。
官能だけではないことに感じ入り、彼の死が報じられてからほかの数点を読む。

☆「水槽の中の女」中央公論2016年
何ごともきちんと行い生きてきた62歳の男が、がんであと6か月と宣告される。
彼の心の支えは性とその生活歴、若い時のある夫婦の彫刻モデルや手伝い。

☆「異端者」文藝春秋2016年
主人公は新垣誠一郎、戦争未亡人である彼の母とずっとふたりだけの生活。
それが宿痾となり彼の性向や生き方などにつらなる、めくるめく多様な世界。

☆「おとなの童話、おかしなことに」講談社2015年、小説現代掲載の短編集
戦中・戦後、後家さんに囚われた青年の話の「カワムラ青年」がいい。

☆「あしあと」文藝春秋2014年、オール読物掲載の短編集
戦前処女で嫁いだ女の夫との短い交わい、戦後戦死通知の後夫の弟との「ひとつだけ」。
ここでも戦中などの作品でなんともやるせない短編が読ませる。

☆「ある殺人者の回想」講談社2013年
戦前の佐世保宇根島炭鉱、主人公のつましくまじめでしかし2回殺人犯としての生涯。
小納屋という住まいと炭鉱での生活、父母のこと、隣人の夫妻やインテリ男との交流。
彼の生涯と重なる部分が多く、生活の生々しさがノンフィクションのようだ。

以上、晩年の数点は往年の売れっ子時代とは趣向が異なる。
60代~80代という年齢(これだけですごい)で、年代に見合う人物と人生を描く。
経験を生かしつつ、自分の心の奥底に秘めたものを少しずつ取り出していく。
若き日の志は消えていなかった。

晩年の傑作と紹介される4点について感想を書く。

☆「棘(とげ)」文藝春秋2004年、初出オール読物2001~2003年
円熟した勝目梓が凝縮されている短編集。「遺品」では、実父の死後9年、
義母とふたりで暮らした主人公が、義母の死で遺品を整理する。
ひきだしにあったものを見て、蔑み嫌悪する彼の妻、そこで義母の愛を悟る。
現在ならおそらく低俗に走るところを、昭和人間の倫理観は神々しい。

☆「老醜の記」文藝春秋2007年、初出オール読物2004~2006年
はじまりは60代で20代のホステスとできて、ママにする。心はともかく身体が伴わない。
どろどろの三角関係に妄想、滑稽な老醜の極み、己の妄執の暴走。
予想通りの展開にあほらしくて途中で・・・でもそこに老人の生と性の本質が見られる。

☆「小説家」講談社2006年、初出スペッキヲ1999年~2006年
娘に自分の人生を書き残したかった、という彼が書きたいものを書いた作品。
彼のすべてという1冊だが、自分の記憶への不安を何度でも書き連ねて、くどい。
文藝評論家の池上冬樹さんは「実に濃密な文芸作品」と評価する。

晩年の諸作品について朝日新聞の興野優平さんは記す。
「エンターテイメント作家として培われてきた長所がしっかりと息づいている。
性に対する貪欲な探求、優れた犯罪分析、そして様々な体験を経た、
人生の諸相への冷徹な観察がある」

自分の思いは次の作品である。

☆「死支度(しにじたく)」講談社2010年、初出スペッキヲ2007年~2010年
99歳または109歳のみかけはボケ老人。やりたいことはすべてやり、何の未練もない。
73歳で脳溢血でコロリと死んだ女房のことを愛し、脇の下と股の毛が忘れられない。
5億円もかけ、数年がかりでたくさんの女性の腋毛と陰毛を集め自分の枕とふとんを作る。
そして、人生最後は周到準備覚悟の上、断食死を企てたのに・・・。

なんとも繊細で豪快なフェチ人生、だれに迷惑をかけるでなく、変態を全うする。
想像力さえ働かせれば、自分ひとりだけの妄想で人生は過ごせるのである。
ここに、だれもが不安な老後の、一縷の希望を見る。

「週刊現代」もいいが、勝目梓がいい。感謝しかない。

追記

その後「落葉の記」を読む。最後の作品集。

前半は、いくつかの作品。

あるモチーフをもとにいろいろアレンジして読者好みに仕立てていく。

まさに熟練の技、エンタメ作家の本領発揮。

そして未完に終わった日記形式の「落葉の記」。

老後の平凡な日常を淡々と記述しつつ、勝目色がじわじわと滲みでる。

それが、身につまされたようなもの。

参りました。

感謝の言葉はここで言うべきだった。

本当にありがとうございます、そして、お疲れさまでした。

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2020年10月 7日 (水)

山歩き:長野市民の山、飯縄山を歩く

山歩き:長野市民の山、飯縄山を歩く

旅先でのちょっと山歩き、北信の飯縄山を戸隠中社から周回する。

長野市の北西に位置し、手軽に登れる山としてまさに長野市民の山。

信越五岳(ほかは斑尾・妙高・黒姫・戸隠)のひとつとして存在感はいまいち。

百名山に選ばれなくてよかった、万人を受け入れる山、こういうのがいいんだよ。

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【山行日】2020年9月29日(火)

【山 域】北信:妙高戸隠連山国立公園

【天 候】曇り時々晴れ

【形 態】周回 単族 軽装

【コース】西登山口から飯縄山のち瑪瑙山から戸隠中社へ

西登山口9:30--9:58萱の宮--10:51南登山道合流--10:58飯縄神社11:06--

--11:14飯縄山山頂11:34--12:21瑪瑙山--13:34分岐--14:02中社P

 

休暇村妙高に三連泊し、のんべんだらりの日々の合間に山歩きする。

そこにいるなら当然、妙高山だが16年前に登っている。

宿の豪華な朝食を食べてから山へ向かえば、出発は9時過ぎになる。

往復8時間ほどの山に対してそれはとても失礼なこと、遠慮する。

火打山、黒姫山、高妻山、戸隠山なども以下同文。

すると、飯縄山しかない。

いい山を残しておいて本当によかった。

 

一般的に飯縄山への登山は南登山道が主である。

信仰の山らしく十三もの石仏があり、道中を見守ってくれている。

でも往復はもったいないし折角なので衛星峰にもよりたい、と西にする。

 

休暇村妙高から1時間余、黒姫山を大きくぐるり回って戸隠に至る。

戸隠は神社で有名なだけでなく牧場、キャンプ場ほかレジャー施設もある。

森の中心に一本道が通りわかりやすそうだが、いつ来ても迷いそうになる。

途中、黒姫山登山口にはそれなりの車が停まっていた、山日和。

戸隠の高妻山駐車場はといえばもうあふれるぐらいの台数だ。

 

中社付近で工事中の道の脇を西登山口目指して入っていく。

休日は大混雑するちびっ子忍者村の側を通るがとても道が狭い。

こちらは道端に3台駐車していて、そこまで送ってもらい、出発する。

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いきなりの急登はすぐにおわり、よく整備された樹林帯を進んでいく。

薄日の漏れるカラマツ混じりの道は静かで、淡々と歩く。

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先行者の鈴の音が聞こえる。

しまった、熊鈴を忘れた。

 

林道を横切り少し行くと鳥居と祠がある萱の宮。

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そこから少しずつ勾配を増すが万人向けのよい道である。

高度があがると徐々にごろごろの石の道になり歩きにくくなる。

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下りや濡れているときは滑りやすそうだ。

 

右手に少し展望が開けるが雲が出ていてはっきりしない。

南登山道に近づく尾根筋に出ると明るくなり視界が開ける。

岩と石が混在する道なので足の置き場に注意する。

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前方の先行者は足さばきが軽いので歩きなれた地元の人だろうか。

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振り返るとそれなりに眺めがいい、上がってきた高度に少しの満足感。

こちらの道にも石仏があってちょっと安心。

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行き先の雲間にはニセピーク、もとい飯縄神社らしきが見えている。

下りてくる登山者は早出の人だ、元気がいい。

そこら辺が南登山道との分岐というか合流点で、彼女は南へ下っていく。

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その先を見れば、道筋に行き交う数人の姿を認める。

 

ガスという雲間を、山頂は近いのか遠いのかすぐなのかまだなのか。

ぼやいていると目の前に鳥居が現れた。

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えっ、もう着いたの、でもピークらしくない場所だ。

 

少し進むと道端の石仏の周囲にだけシラタマノキ、にくいね。

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草葉に隠れた右手の下がったところに建築物がある。

飯縄神社の祠だった。

鳥居・祠・神社と山頂の位置関係が飯豊山にとてもよく似ている。

 

きれいなトイレブースもある。

飯縄山山頂へはいったん下って登り返す。

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山頂はかなり広くて大きな石がごろごろとしている。

どこでも腰が下ろせ、学校登山や多くの家族連れに対応できるはずだ。

雨の昨日とは変わって平日の今日は数人の人が点在するのみ。

展望はいいのだが座ったままでは見えず、端の方へ行く必要がある。

東側の飯縄高原新道方面が切り開かれていて一番眺めがいい、なんでやねん。

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休憩を終え北へ少し下ると右に霊仙寺山への縦走路がある。

時間と体力に余裕があれば往復したかったが、かなわぬ夢とする。

瑪瑙(めのう)山への道はゴロ石の滑りやすい急な道で、少し焦る。

慎重に足の置き場を見極めつつ、樹間を下りる。

 

しばらく下って振り返ると霊仙寺山へのなだらかな稜線が見え、後悔。

もう少し進むとちょっとした露岩があった。

 

ここからの眺めが本日の一番。

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どっしりとした瑪瑙山はそれなりに、右の美形は高デッキ山なのね。

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見る位置や高度、角度によってどんどん変わるので軽口は慎みたい。

露岩から見下ろす鞍部や緑の笹原の、遠目ならではの美しさ。

 

露岩からの下りをこなすと嫌な登り返しがあってふつうは少し落ち込む。

ところがこの平坦な鞍部の歩きはルンルン稜線歩きのそれ。

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瑪瑙山への登りもそれほどではなかった。

 

瑪瑙山の山頂へは少しの寄り道になる。

名前に惹かれて来ると、宝石のメノウはないが飯縄山の本体がしっかりと見渡せる。

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神社と山頂、霊仙寺山を繋ぐ稜線がなだらかでやわらかい。

反対側の西方面を見ると、あらまあ、いと興ざめなり。

この山の存在は雪山シーズンのボーダーやスキーヤーのものなのだ。

恰好の一服休憩場所てか。

 

その後はゲレンデをひたすら下り、怪無山手前の分岐で左、中社方面へ。

すぐに笹やぶの道になり、笹の背が高い。

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前日までの雨のしずくがぽたぽた、嫌なパターンだ。

 

すぐに樹林帯をジグザグに下る一般的な登山道になる。

いくつか沢を渡り、沢音が一段と大きくなるとふたたび分岐がある。

左、飯縄山、右、中社。

現在地の認識があいまいで、標識の意味がすぐにはよくわからなかった。

左の飯縄山へ、は別の登山道なのか?

否、おそらくこれは中社方面から来て西登山口へ向かう道、らしい。

 

右の戸隠中社方面へ進むとすぐに水路沿いの道になった。

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これはネットでも見ていた、とても印象的な道だ。

左側は急斜面、右に用水のような水路、道はその間を進む。

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この水路は水源でもあるらしくとても大切にされているのがわかる。

ただとても長いので少し不安になる。

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前方に開けたススキ原と戸隠山が見えてきて、標識も現れ一安心。

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左に踏み跡があるのに標識は示さず、右手の越水方面のみを指す。

どちらにも不明な自分は水路に沿ってまっすぐに進むという愚を犯す。

草丈の高いやぶに入り、浄水場にぶつかり、民家に突入。

広い車道を求めて、這う這うの体でようやく戸隠中社の駐車場に着いたとさ。

 

今日の反省

所要4~5時間の山ならいつでも歩けるように常に備えたい。

時に、飯縄山のような「あたり」もあるわけで、一応合格。

北信五岳ほか名山の並ぶこの地の山歩きは選択の幅がとても多い。

信州山のグレイディングで2B初級の飯縄山にしても山体が大きい。

衛星峰も多く四方に登山道がありいろんなレベルに応じている。

 

昔の思い出

夜中に笹ヶ峰に着き翌朝雨の火打山へ、ネマガリダケにとことん邪魔をされた。

雨なのでむれるのがいやだと短パンで妙高山、数十か所虫に刺され泣いた。

黒姫山は東のスキー場から、ここでも竹や笹にずいぶん足を取られた。

人気の登山道ではなかったので山頂付近で団体さんに変質者扱いされる。

距離があり時間のかかる高妻山へは早朝に挑む、これ常識。

歩き出しのキャンプ場でグランピングしているキャンパーたちを観察する。

優雅に椅子でくつろぐその結果が、朝から死んだ魚のような眼をしていた。

最近はソロキャンプが流行しているらしいけど所詮ブームにすぎないのでは。

モノやスタイルに凝って、うんちく垂れる様になったら・・・末期かもね。

 

 

 

 

 

 

 

 

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