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2020年10月11日 (日)

日記:エンタメ作家、勝目梓を悼む

日記:エンタメ作家、勝目梓を悼む

コロナ禍で行動が制限されるなか、よくするようになったことに読書がある。
文字を追うとすぐに目が疲れるし、集中力も衰えていて内容把握も散漫。
でも自粛生活というのが元来好きで、社交性のない自分にはこれがいい。

終活という身の回りの整理を少し意識し、たまりにたまった本棚を見る。
箱詰めしつつもそれぞれの本に未練があり、開いて読んでは手が止まる。
読んだことは覚えていても内容は覚えていないので再読しても新鮮。
処分しても二束三文、場所が取られるのは不満だがそのままにする。

読書といえば教科書や文学史に載っている作家が中心だった。
森鴎外や国木田独歩、下村胡人と井上靖、それから太宰治、・・・。
高校のころは開高健と大江健三郎、ジッドやカミュ、ノーマン・メイラー。
ヘミングウェイやヘッセ、いっとき話題になった三島由紀夫や庄司薫はちょっと。
それなりに楽しんでいたし、恰好をつけて無理して手を出していただけかも。

その後は徐々にいろんな作家を選んでいく。
ある作家を気に入ればその作家の作品をとことん読む。
その作家のよさがわかっているので安心して浸る、読み心地がいい。
椎名誠や村上春樹、桐野夏生、奥田英朗、そして阿部牧郎。
脈絡も思想性もなにもない、食いついてみて美味かったから。

何十年も前、新聞に連載されていた沢木耕太郎「一瞬の夏」。
当時はいつも次の日が待ち遠しかった。
これで味をしめ新聞のその欄に目をむけるが、満足して読み通せるのは少ない。
最近では奥田英郎「沈黙の町で」、重松清「ひこばえ」がよかった。
少し前の浅田次郎「椿山課長の七日間」も心をつかまれた。

スポーツ新聞の連載小説となると話がずれる。
物語の筋を追うのではなくその時その場の盛り上がりを味わう。
電車の中などで挿絵付きのそこを見ているとちょっと恥ずかしい。
ただ短い文章の中にきちんと山場(濡場)を収めている。
宇能鴻一郎や川上宗薫そして本題の勝目梓って、それだけですごい。

長い前振りのもと、ここからようやく本題。

去る3月3日に心筋梗塞で死去した勝目梓(享年88歳)を悼む。
戦中と戦後の時代をそれこそ必死に生きた世代だ。

1932年生まれの彼は鹿児島の高校を中退し17歳で長崎の炭鉱に入る。
落盤の危険と隣り合わせで石炭を掘り、その後結核で入院療養する。
そのころ文学に目覚め、妻子を置いて単身上京し、職を転じながら努める。
いっとき芥川賞や直木賞の候補にあがるも限界を感じて純文学を離れる。
同人仲間の中上健次や森敦の特異な才能に打ちのめされた、と。
その後は性と暴力を中心とした娯楽小説を書くようになり、そして売れ出す。
原稿依頼も増え、月に千枚以上を量産する流行作家となる。

流行作家といえば今では直木賞系の売れている作家が多い。
雑誌などに連載を持ち出版点数も多く、文章だけで贅沢のできる人のことだ。
芥川賞系の純文学作家でも売れていなきゃサマにならないのが現在。
教科書や文学史、入試に出るから偉いとはホンの一部の評価でしかない。

ところで勝目梓は、純文学を志していた。
そして40歳で純文学と決別する。
本人にとってはとても手痛い挫折なのに、転向とか堕落みたく。
昔人間の自分もそうだが、当時の感覚では屈辱だったのでは。
厳しい試練に負けて、安易な方へ逃げ出すようなものだと。

ところがあろうことか、逃げた先で売れてしまう。
売れるということが、とても後ろめたいような感覚であった時代。
自分の書きたいものを書けず、注文されたもの(売れる文)を書く。
出版社や雑誌社、読者の趣向に沿ったものを期限までに書く。
気分がのらないとか文学ではない、などという戯言ごとは通用しない。

これって音楽の世界でもよく聞く話だ。
自分とか自分たちの好きな音楽をやりたいなどとのたまうミュージシャンは多い。
でもプロとしてやっていく時それが通用するのはほんの一部の才能ある人のみ。
今売れてる人は、裏でとことん妥協し涙を流しているのかもしれない。
自由気ままに言いたいことを言ってやりたい放題さんは見かけだけかも。

話を勝目梓に戻す。

著作は300冊ほど、売れっ子のころの作品はそれなりに気楽に読める。
「セックスとバイオレンスの作家」という看板そのもので十分に楽しめる。
あくまで読んでいる合間を楽しむモノだからすぐに消えていく文章群でもある。
ある時間を楽しむだけ、それはそれでとても貴重である。
ただ、彼の晩年のを読むとその考え方や感じ方が変わり始める。
図書館でいつのまにか閉架に移され忘れ去られていくのは惜しい。

まだ開架にあった晩年(60代~80代)の数冊を読んだのが昨年のこと。
官能だけではないことに感じ入り、彼の死が報じられてからほかの数点を読む。

☆「水槽の中の女」中央公論2016年
何ごともきちんと行い生きてきた62歳の男が、がんであと6か月と宣告される。
彼の心の支えは性とその生活歴、若い時のある夫婦の彫刻モデルや手伝い。

☆「異端者」文藝春秋2016年
主人公は新垣誠一郎、戦争未亡人である彼の母とずっとふたりだけの生活。
それが宿痾となり彼の性向や生き方などにつらなる、めくるめく多様な世界。

☆「おとなの童話、おかしなことに」講談社2015年、小説現代掲載の短編集
戦中・戦後、後家さんに囚われた青年の話の「カワムラ青年」がいい。

☆「あしあと」文藝春秋2014年、オール読物掲載の短編集
戦前処女で嫁いだ女の夫との短い交わい、戦後戦死通知の後夫の弟との「ひとつだけ」。
ここでも戦中などの作品でなんともやるせない短編が読ませる。

☆「ある殺人者の回想」講談社2013年
戦前の佐世保宇根島炭鉱、主人公のつましくまじめでしかし2回殺人犯としての生涯。
小納屋という住まいと炭鉱での生活、父母のこと、隣人の夫妻やインテリ男との交流。
彼の生涯と重なる部分が多く、生活の生々しさがノンフィクションのようだ。

以上、晩年の数点は往年の売れっ子時代とは趣向が異なる。
60代~80代という年齢(これだけですごい)で、年代に見合う人物と人生を描く。
経験を生かしつつ、自分の心の奥底に秘めたものを少しずつ取り出していく。
若き日の志は消えていなかった。

晩年の傑作と紹介される4点について感想を書く。

☆「棘(とげ)」文藝春秋2004年、初出オール読物2001~2003年
円熟した勝目梓が凝縮されている短編集。「遺品」では、実父の死後9年、
義母とふたりで暮らした主人公が、義母の死で遺品を整理する。
ひきだしにあったものを見て、蔑み嫌悪する彼の妻、そこで義母の愛を悟る。
現在ならおそらく低俗に走るところを、昭和人間の倫理観は神々しい。

☆「老醜の記」文藝春秋2007年、初出オール読物2004~2006年
はじまりは60代で20代のホステスとできて、ママにする。心はともかく身体が伴わない。
どろどろの三角関係に妄想、滑稽な老醜の極み、己の妄執の暴走。
予想通りの展開にあほらしくて途中で・・・でもそこに老人の生と性の本質が見られる。

☆「小説家」講談社2006年、初出スペッキヲ1999年~2006年
娘に自分の人生を書き残したかった、という彼が書きたいものを書いた作品。
彼のすべてという1冊だが、自分の記憶への不安を何度でも書き連ねて、くどい。
文藝評論家の池上冬樹さんは「実に濃密な文芸作品」と評価する。

晩年の諸作品について朝日新聞の興野優平さんは記す。
「エンターテイメント作家として培われてきた長所がしっかりと息づいている。
性に対する貪欲な探求、優れた犯罪分析、そして様々な体験を経た、
人生の諸相への冷徹な観察がある」

自分の思いは次の作品である。

☆「死支度(しにじたく)」講談社2010年、初出スペッキヲ2007年~2010年
99歳または109歳のみかけはボケ老人。やりたいことはすべてやり、何の未練もない。
73歳で脳溢血でコロリと死んだ女房のことを愛し、脇の下と股の毛が忘れられない。
5億円もかけ、数年がかりでたくさんの女性の腋毛と陰毛を集め自分の枕とふとんを作る。
そして、人生最後は周到準備覚悟の上、断食死を企てたのに・・・。

なんとも繊細で豪快なフェチ人生、だれに迷惑をかけるでなく、変態を全うする。
想像力さえ働かせれば、自分ひとりだけの妄想で人生は過ごせるのである。
ここに、だれもが不安な老後の、一縷の希望を見る。

「週刊現代」もいいが、勝目梓がいい。感謝しかない。

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