日記・コラム・つぶやき

2023年5月 3日 (水)

読書日記:島田雅彦『往生際の悪い奴』

読書日記:島田雅彦『往生際の悪い奴』

島田雅彦『往生際の悪い奴』
   日本経済新聞出版社、2014年8月8日発行

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男はいくつになっても、女からの愛を諦めきれない。
その相手が自分をあの世に誘う女であっても・・・。

主人公らしき「おまえ」は本当にどうしようもない奴。
何をやっても冴えず、すぐに他人を頼っては迷惑をかける。
挙句、駅前でもらったティッシュで、わらしべ長者を始める。
最初はそれなりになんとかなるも、当然のように撃沈。
向かった先は富士山麓の樹海、〇〇の名所ですね。
踏ん切りがつかず気になって振り返ったら、そこには。
類は友を呼ぶよろしく風采の上がらない男、三島がいた。
三島は一応の弁護士で、「おまえ」は彼に拾われる。

ダメな男を書かせたらピカ一の島田雅彦。
二人のダメ男をどう料理するのか。

ぐだぐだの始めりだったがここからようやく本文へ。
三島弁護士のもとにストーカー被害案件が持ち込まれる。
被害者は大学生の絵美里で、スタイル抜群の美人。
弁護士の三島は「おまえ」を助手としてうまく使い解決に導いていく。
男不信、恐怖症になっていた絵美里だが、いつの間にか心には・・・。

好き好かれ恋しかるべき、と書くとアホのようだが男女の間は難しい。
ようやく主人公は「おまえ」ではなく三島のようだ、と気づく。

男には生涯、運命の女が三人いる。
一人目は母親、二人目は妻、三人目は情欲のまま愛し合う女。
人生は原則3回やり直せる。
絵美里がその、3人目の女になる、なってほしい。
谷崎潤一郎や川端康成の浸かった湯に御一緒に。

三島の情欲に、作者は一流の俗物官能小説で応える。
美人も三日で飽きると、「おまえ」の心情を暴く。
それでも明るい晩年生活を夢見る三島に、罪と罰を。
そこはちょっと残念、エンタメなんだからさ。

ところで自分の身辺。
いつもの猿投山。
今日もいるアイツ、ナンパGさん。
いくつものSNSにも顔出してるから、さぞや有名人。
一方で、触られたとかなんとかの被害も相当らしい。
要注意とかで、奴から被害者を遠ざけようとする御人も。
その紳士ぶったこちらの正義Gさんたち。
自分たちは安心だからと、いつも若い娘さんたちを連れている。
正統、元祖、横やり、いろんなナンパGさんの屯する山、

そう、あいつもこいつもみんな。
もちろん自分も、みんなみんな往生際の悪い奴ばかり。
じゃあ、どうしたら往生際が良いのか。
それが分からないからみんなもがき続ける。
「あきらめたらそこで試合終了ですよ」by 安西先生

 

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2022年12月26日 (月)

読書日記:吉村萬壱『CF』を読む

読書日記:吉村萬壱『CF』を読む

吉村萬壱『CF』徳間書店、2022年6月30日発行。

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CFは「シーエフ」と読み、Central Factoryの略。
本社は町の中心に巨大な煙突と広大な面積を有し、第2の皇居とも。
全国に666工場、そして今や世界中に拠点、展開している。
工場には機械的・化学的な方法で「責任」を無化する装置がある、らしい。
個人が犯した殺人・事故・事件などの、その責任をなくしてくれる、らしい。
およそなんのことか理解できかねることがそこでは行われている、らしい。

身の回りで起こった事件や、マスコミをにぎわせた出来事が
いつのまにかうやむやになり、だれも責任を取らぬまま消えていく。
その出来事の全体に、何らかの形で作用しているのがCFで
いつの間にか、加害者のみならず被害者もそこから逃れられている。

とんでもない設定だが、どこか身につまされる。

CFもそうだが、政治家、上級国民、テロリスト、カルト宗教も登場。
すべては誰もがここ数十年前から現実に見聞きしてきたことばかり。
あれもこれもいつの間にか忘れてしまい、次から次へどんどんのこと。

そういえばちょっとした事件の、ふつうの一般人のミスや罪は
ネットやワイドショーで何度でも繰り返し報じられ、叩かれ続ける。
国家情報の根幹に関わる文書の改ざんが行われているのに
関わった国家公務員も政治家もみんな白を切り通している。
真っ当なことを言う人間は、大衆から一部の意見とハバにされる。

気が付かないうちに世の中はそうなっている。
小説の中の虚構の世界と思ったものが、現実になっている。

小説の著者、吉村萬壱の今回は、軽快にして絶好調である。
ずっと脈絡も出版順も関係なく、手あたり次第読んできた読者の自分。

『虚ろまんてぃっく』『ハリガネムシ』『前世は兎』『ヤイトスエッド』
『回遊人』『独居45』『臣女』『出来事』『流卵』
『ボラード病』『生きていくうえで、かけがえのないこと』
『死者こそふさわしいその場所』『哲学の蠅』そして『CF』

彼の創り上げる世界は、小説だから虚構だが、比喩は結構な現実。
表現は、エロ・グロ・ナンセンス満載。
時にグロに走り出すと、とんでもないおぞましさである。

2019年12月末の著、『出来事』は不穏だった。
狂っているのは世界か自分か。
結局この世界は作り物、自分の脳が勝手に作っているイメージ。
目を背けたくなるような汚物まみれの描写。
「チク」は閉ざされていない、どこでもがソコ。

遡れば2014年6月の著、『ボラード病』は隔離された島だった。
極私的な視点からの規律と自粛の厳しい生活。
海塚のうたとか憲章とかボランティアという強制作業。

掌編小説にもその萌芽や毒は漏れていたが
小説『死者にこそ~』やエッセイ『哲学の蠅』を通しての完成形。
回りくどく難しい、ともすると理解されず敬遠される比喩はやめて
分かりやすいエンタメぎりぎり路線と、陳腐になる手前でじらす作戦。

章分けというか、見出しはすべて登場人物。
主な登場人物像は、はじめにていねいに掲載。
これって、内容によるそれよりもずっとわかりやすい。

比喩表現もまじめなようで勢いで遊んでいる。
まさか慣用句を自分の名前で遊ぶか。
クライマックスで登場人物の名前をミスするか。
そんな隠しネタまで仕込むとは、吉村さん、跳んでますね。
次は是非、『流卵』『ボラード病』で踏み込めなかった家族のこと。
特に、『CF』の出版のすぐ後で例の射殺事件があった。
これらを掘ると粘っこくなって臭くなりそうだから、
そこはそれ、「イナセ」に書いて欲しい。

 

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2022年9月 5日 (月)

読書日記:那須正幹『ばけばけ』を読む

日記:那須正幹『ばけばけ』を読む

読んだ作品は、那須正幹『ばけばけ』ポプラ社。
こんな老人文学書がこれでおわりとはなんとも惜しい。

「ズッコケ三人組」シリーズやヒロシマの作品で知られる那須正幹さん。
1942年6月に広島で生まれ、2021年7月に79歳で亡くなられた。
作品数と発行部数の多さから児童文学者として著名だが、
書き続けるだけではなく戦い続ける人でもあった。
『ばけばけ』は2018年12月にポプラ社から刊行された晩年の作品。
著者があとがきで述べているように老人文学といってもいい。

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作品『ばけばけ』のあらすじと感想

氷室大造、75歳。妻に先立たれてから楽しみといえば
近所の公園で老人仲間と会うことぐらい。
このまま静かに人生の幕を閉じていくように思われたが、
晩春のある夜、とんでもない「まさか」が起きる・・・。

当世の老人といえば、家族がいても孤立している人が多い。
頑固でふだんから誰にも寄り添わないから、話し相手がいない。
だから例の、詐欺の被害者になりやすい。
巻頭はそこからはじまる。

奥さんの方が元気だったのに、旦那が取り残される。
公園の老人仲間もみんな独居に近い境遇。
そんな男の老人たちが仲間になってつるむということはまずありえない。
それを三人組よろしく活躍させるのが児童文学者、らしい。

タヌキが、あたりまえのように登場する。

タヌキが人をだます、なんていうのを知っているのはもう老人ぐらいのもの。
それは幼い頃に、絵本や紙芝居、おとなたちの話で何度も聞かされてきた。
それ以前といえば、お化けや妖怪の重要な「なりて」であった。

安城市歴史博物館の特別展『怖~い浮世絵』でもタヌキは
大判錦絵の中で、幽霊や妖怪を恐れる人々の前に、
極悪非道驚異奇天烈な姿態で暴れまくるのであった。

そんな器用で何でもできるタヌキなんだから、現世で、
知識は豊富らしいが特にだまされやすい人種である男の老人を
手玉に取る、なんてそれこそ朝飯前。

はじめは、なんでこんなこと、ちっとも面白くないなあ、だった。
タヌキが本当に人をだます、というありえないところから動き出す。
詐欺に引っ掛かっているのに、
だまされている本人は夢心地、なのと同じ、えっ。

そしてそのタヌキがなんと、主人公の亡くなった奥さんにばける。
もとい、正確には、奥さんにばけてくれる。
姿かたちやしぐさだけでなく、考え方や性格もそのまんまに。
そのありのままの姿で動くのだから、それって本物。

奥さんの、よくできてそれをふつうに当たり前に思っていた主人公。
亡くしてから、いざ自分が家事の一切をすることになって気づいた。
それこそ身につまされる。
その奥さんがふたたび現実の目の前に戻ってきた。

そして、思わず同じ床に入る。
そこに触れることで老人文学になる。
飛ばすことも割愛することもできたはず。
この一場面を取り上げて異議申し立てする輩もいる。
もちろんこれは、単なるサービスではない。
書かないと全編が一気に薄っぺらなものに成り果てる。

感想はもう、ここら辺でいいかな。

その後も、亡くなったはずの奥さんとの日々がしばらく続く。
それこそ生前には気が付かなかった仕合せな日常というやつ。
こんな素晴らしいタヌキを仲間や他人がほかっておくことはない。
ひと悶着、ふた悶着があって当たり前だがそこはそれ。

そんなことより、
こんな素晴らしい日々を過ごすと、その後が心配になる。
別れは当然くるし、突然やってくる。
そこは作者も何かと手を打ってはくれるが、難しいところだ。

煙草好きな作者の、タバコへの思いもきちんと書かれている。
その昔、那須さん本人に向かって嫌煙を口にした自分が恥ずかしい。

ところで、「だまされ」つながりのついでに
この本の前に読んだ、星野智幸『だまされ屋さん』。

人と人との関係で少しのこだわりや行き違い、考え方の、
圧倒的なことばのやりとりにいつの間にか思考がもつれる。
今風のヒエラルキーや心理分析に感心するが原因はひとつ。
未彩人が秋代宅に土足で踏み込んだ時の、その描写への不満は大きい。
ことばで表層をなぞっただけで、欲望が起こしうる恐怖があまいあますぎる。
結局は、「だまされる」がそのまま実体として、
洗脳や宗教につながった実態と変わらないのが怖い。

物語は理論や思想ではないのだ。
妄想でもいい。
俺は、リアルな老人文学を求める。

 

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2020年10月11日 (日)

読書日記:エンタメ作家、勝目梓を悼む

読書日記:エンタメ作家、勝目梓を悼む

コロナ禍で行動が制限されるなか、よくするようになったことに読書がある。
文字を追うとすぐに目が疲れるし、集中力も衰えていて内容把握も散漫。
でも自粛生活というのが元来好きで、社交性のない自分にはこれがいい。

終活という身の回りの整理を少し意識し、たまりにたまった本棚を見る。
箱詰めしつつもそれぞれの本に未練があり、開いて読んでは手が止まる。
読んだことは覚えていても内容は覚えていないので再読しても新鮮。
処分しても二束三文、場所が取られるのは不満だがそのままにする。

読書といえば教科書や文学史に載っている作家が中心だった。
森鴎外や国木田独歩、下村胡人と井上靖、それから太宰治、・・・。
高校のころは開高健と大江健三郎、ジッドやカミュ、ノーマン・メイラー。
ヘミングウェイやヘッセ、いっとき話題になった三島由紀夫や庄司薫はちょっと。
それなりに楽しんでいたし、恰好をつけて無理して手を出していただけかも。

その後は徐々にいろんな作家を選んでいく。
ある作家を気に入ればその作家の作品をとことん読む。
その作家のよさがわかっているので安心して浸る、読み心地がいい。
椎名誠や村上春樹、桐野夏生、奥田英朗、そして阿部牧郎。
脈絡も思想性もなにもない、食いついてみて美味かったから。

何十年も前、新聞に連載されていた沢木耕太郎「一瞬の夏」。
当時はいつも次の日が待ち遠しかった。
これで味をしめ新聞のその欄に目をむけるが、満足して読み通せるのは少ない。
最近では奥田英郎「沈黙の町で」、重松清「ひこばえ」がよかった。
少し前の浅田次郎「椿山課長の七日間」も心をつかまれた。

スポーツ新聞の連載小説となると話がずれる。
物語の筋を追うのではなくその時その場の盛り上がりを味わう。
電車の中などで挿絵付きのそこを見ているとちょっと恥ずかしい。
ただ短い文章の中にきちんと山場(濡場)を収めている。
宇能鴻一郎や川上宗薫そして本題の勝目梓って、それだけですごい。

長い前振りのもと、ここからようやく本題。

去る3月3日に心筋梗塞で死去した勝目梓(享年88歳)を悼む。
戦中と戦後の時代をそれこそ必死に生きた世代だ。

1932年生まれの彼は鹿児島の高校を中退し17歳で長崎の炭鉱に入る。
落盤の危険と隣り合わせで石炭を掘り、その後結核で入院療養する。
そのころ文学に目覚め、妻子を置いて単身上京し、職を転じながら努める。
いっとき芥川賞や直木賞の候補にあがるも限界を感じて純文学を離れる。
同人仲間の中上健次や森敦の特異な才能に打ちのめされた、と。
その後は性と暴力を中心とした娯楽小説を書くようになり、そして売れ出す。
原稿依頼も増え、月に千枚以上を量産する流行作家となる。

流行作家といえば今では直木賞系の売れている作家が多い。
雑誌などに連載を持ち出版点数も多く、文章だけで贅沢のできる人のことだ。
芥川賞系の純文学作家でも売れていなきゃサマにならないのが現在。
教科書や文学史、入試に出るから偉いとはホンの一部の評価でしかない。

ところで勝目梓は、純文学を志していた。
そして40歳で純文学と決別する。
本人にとってはとても手痛い挫折なのに、転向とか堕落みたく。
昔人間の自分もそうだが、当時の感覚では屈辱だったのでは。
厳しい試練に負けて、安易な方へ逃げ出すようなものだと。

ところがあろうことか、逃げた先で売れてしまう。
売れるということが、とても後ろめたいような感覚であった時代。
自分の書きたいものを書けず、注文されたもの(売れる文)を書く。
出版社や雑誌社、読者の趣向に沿ったものを期限までに書く。
気分がのらないとか文学ではない、などという戯言ごとは通用しない。

これって音楽の世界でもよく聞く話だ。
自分とか自分たちの好きな音楽をやりたいなどとのたまうミュージシャンは多い。
でもプロとしてやっていく時それが通用するのはほんの一部の才能ある人のみ。
今売れてる人は、裏でとことん妥協し涙を流しているのかもしれない。
自由気ままに言いたいことを言ってやりたい放題さんは見かけだけかも。

話を勝目梓に戻す。

著作は300冊ほど、売れっ子のころの作品はそれなりに気楽に読める。
「セックスとバイオレンスの作家」という看板そのもので十分に楽しめる。
あくまで読んでいる合間を楽しむモノだからすぐに消えていく文章群でもある。
ある時間を楽しむだけ、それはそれでとても貴重である。
ただ、彼の晩年のを読むとその考え方や感じ方が変わり始める。
図書館でいつのまにか閉架に移され忘れ去られていくのは惜しい。

まだ開架にあった晩年(60代~80代)の数冊を読んだのが昨年のこと。
官能だけではないことに感じ入り、彼の死が報じられてからほかの数点を読む。

☆「水槽の中の女」中央公論2016年
何ごともきちんと行い生きてきた62歳の男が、がんであと6か月と宣告される。
彼の心の支えは性とその生活歴、若い時のある夫婦の彫刻モデルや手伝い。

☆「異端者」文藝春秋2016年
主人公は新垣誠一郎、戦争未亡人である彼の母とずっとふたりだけの生活。
それが宿痾となり彼の性向や生き方などにつらなる、めくるめく多様な世界。

☆「おとなの童話、おかしなことに」講談社2015年、小説現代掲載の短編集
戦中・戦後、後家さんに囚われた青年の話の「カワムラ青年」がいい。

☆「あしあと」文藝春秋2014年、オール読物掲載の短編集
戦前処女で嫁いだ女の夫との短い交わい、戦後戦死通知の後夫の弟との「ひとつだけ」。
ここでも戦中などの作品でなんともやるせない短編が読ませる。

☆「ある殺人者の回想」講談社2013年
戦前の佐世保宇根島炭鉱、主人公のつましくまじめでしかし2回殺人犯としての生涯。
小納屋という住まいと炭鉱での生活、父母のこと、隣人の夫妻やインテリ男との交流。
彼の生涯と重なる部分が多く、生活の生々しさがノンフィクションのようだ。

以上、晩年の数点は往年の売れっ子時代とは趣向が異なる。
60代~80代という年齢(これだけですごい)で、年代に見合う人物と人生を描く。
経験を生かしつつ、自分の心の奥底に秘めたものを少しずつ取り出していく。
若き日の志は消えていなかった。

晩年の傑作と紹介される4点について感想を書く。

☆「棘(とげ)」文藝春秋2004年、初出オール読物2001~2003年
円熟した勝目梓が凝縮されている短編集。「遺品」では、実父の死後9年、
義母とふたりで暮らした主人公が、義母の死で遺品を整理する。
ひきだしにあったものを見て、蔑み嫌悪する彼の妻、そこで義母の愛を悟る。
現在ならおそらく低俗に走るところを、昭和人間の倫理観は神々しい。

☆「老醜の記」文藝春秋2007年、初出オール読物2004~2006年
はじまりは60代で20代のホステスとできて、ママにする。心はともかく身体が伴わない。
どろどろの三角関係に妄想、滑稽な老醜の極み、己の妄執の暴走。
予想通りの展開にあほらしくて途中で・・・でもそこに老人の生と性の本質が見られる。

☆「小説家」講談社2006年、初出スペッキヲ1999年~2006年
娘に自分の人生を書き残したかった、という彼が書きたいものを書いた作品。
彼のすべてという1冊だが、自分の記憶への不安を何度でも書き連ねて、くどい。
文藝評論家の池上冬樹さんは「実に濃密な文芸作品」と評価する。

晩年の諸作品について朝日新聞の興野優平さんは記す。
「エンターテイメント作家として培われてきた長所がしっかりと息づいている。
性に対する貪欲な探求、優れた犯罪分析、そして様々な体験を経た、
人生の諸相への冷徹な観察がある」

自分の思いは次の作品である。

☆「死支度(しにじたく)」講談社2010年、初出スペッキヲ2007年~2010年
99歳または109歳のみかけはボケ老人。やりたいことはすべてやり、何の未練もない。
73歳で脳溢血でコロリと死んだ女房のことを愛し、脇の下と股の毛が忘れられない。
5億円もかけ、数年がかりでたくさんの女性の腋毛と陰毛を集め自分の枕とふとんを作る。
そして、人生最後は周到準備覚悟の上、断食死を企てたのに・・・。

なんとも繊細で豪快なフェチ人生、だれに迷惑をかけるでなく、変態を全うする。
想像力さえ働かせれば、自分ひとりだけの妄想で人生は過ごせるのである。
ここに、だれもが不安な老後の、一縷の希望を見る。

「週刊現代」もいいが、勝目梓がいい。感謝しかない。

追記

その後「落葉の記」を読む。最後の作品集。

前半は、いくつかの作品。

あるモチーフをもとにいろいろアレンジして読者好みに仕立てていく。

まさに熟練の技、エンタメ作家の本領発揮。

そして未完に終わった日記形式の「落葉の記」。

老後の平凡な日常を淡々と記述しつつ、勝目色がじわじわと滲みでる。

それが、身につまされたようなもの。

参りました。

感謝の言葉はここで言うべきだった。

本当にありがとうございます、そして、お疲れさまでした。

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2019年12月10日 (火)

日記:二度目の東京で紅葉を

日記:二度目の東京で紅葉を

2泊三日の東京観光、美術館・博物館めぐりに紅葉庭園歩きを入れる。
ふだん新聞やテレビで見聞きする地名が少しだけ実感を伴ってきた感じ。
首都は文化や芸術が集まり交通も便利で実に恵まれたところだと思う。

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【訪問期間】2019年12月5日(木)~12月7日(土)
【地 域】東京:都立庭園と駒込、竹橋、汐留など
【天 候】晴れ時々曇り、最終日は雨、気温は下がっていく

貯まったマイレージの期限が迫り、それを名古屋~羽田の航空券にする。
当初の予定は4泊五日、ただ諸般の複雑な事情で日程は半分になる。
前半の無理で急なキャンセルがなんとかなって後半の再設定、滑り込みセーフ。
紅葉の高尾山縦走はあきらめ、美術館・博物館を中心に庭園歩きを加える。

名古屋から羽田は35分だそうで飛び立つと間をおかず富士山がくっきりと見える。
見事な富士山に感動、これなら東京も晴れそうなので紅葉めぐりを優先する。
羽田からモノレールと地下鉄を乗り継ぎ青山一丁目で地上に出る。

イチョウ並木祭りは先週までだが、これがうわさ「外苑通り」。

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スマホやカメラを構える人が多いのはよくわかる。

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よく見れば、ほとんど海外からの人だった。

そのまま進んでいくと左手に、最近完成したという建造物があらわれる。

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木材と植栽を取り入れて自然をなんとかなので、どこか古びた印象を受ける。
自撮りスマホで実況中継している輩も、あらまあ東京だわ。

この先の庭園はどこから入れるのだろう。

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ガイドブックやスマホを持っていないのでそこが不安、情報弱者の困惑。
狭い通路を通り抜けてなんとか正門ではない入り口へ。

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「新宿御苑」、見事な広さにあんぐり。
まずはあそこではなく、右手の立派な温室へ入る。
たわわに実った青いバナナがお出迎え、以下、珍しいものがいっぱいですばらしい。

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紅葉といえばすぐ目に入ってきたのが大木のイチョウの黄葉。

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となりの落葉した大木には説明板があって「新宿御苑の桜」のことが。

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イチョウとイチヨウってちがうよな。
あの男の説明と同じでわからん、まさかウソやごまかしはないだろう。
およそ1万8千人の見たサクラの今の姿。

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入園料は一般500円、65歳以上は半額の250円。
年間パスポート(2000円)でいつもふらりの散歩生活、うらやましい。

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昼時を過ぎたので遅い昼食を浅草スカイツリータウンへ。

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ケーキバイキングでスィーツをたらふく食べたら腹がばんばんに張ってしまった。
動くのがつらい、反省。

初日の〆は上野へ。

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国立西洋美術館の展示は入れ替えもあって落ち着く。

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2日目の天気、午前中は晴れ午後曇り、まずは予定の「小石川後楽園」へ。

宿泊地の蔵前から、都営地下鉄大江戸線の乗る。
降車駅は飯田橋、案内に従い最寄の出口を目指していく。
エレベーターやエスカレーターは不要、常に階段で上がるのが俺のルーティンなのだ。
ここでは失敗、やられた、途中で息があがった。

「小石川後楽園」は水戸黄門ゆかりの名園で特別史跡・特別名勝だそうな。

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なるほどこういうのが大名が手をかけ金をかけ文化と教養を注いだ庭、なのか。

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中心の大きな池を周囲のいろんなところから鑑賞する。

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周囲に盛って築かれた高みからは外界を眺める。

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土地の高低差を利用して深山幽谷に川や滝があり地名がつけられる。
木曽川、寝覚め滝、竹生島、龍田川、蓬莱島、清水観音、なんとまあ。

名所というのはただ単に有名なだけでなくしっかり中身が詰まっている。
そこで「都立庭園紅葉めぐりスタンプラリー」の存在を知り、参加することにする。
ならば近い駒込の「旧古河庭園」と「六義園」を縁結びチケットで訪問。

和と洋が調和する大正の庭「旧古河庭園」はバラ園と洋館がお出迎え。

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高低差の大きな庭はこじんまりとまとまり、いろんな種類の大きな灯篭が特徴。

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えっ、ここでカワセミ、かの鳥がじっとしているのも納得。

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一方、和歌の心息づく雅な大名庭園「六義園」は訪問客がとても多い。

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カメラを構える一団、ぞろぞろ歩く団体さん、庭はとにかく広くて手に余る。

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名園をいくつか急ぎ見ただけだが、約束事が少しわかって得した気分。

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あとは当初の目的の美術館へ。

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曇ってきたし、歩き疲れたので竹橋の東京国立近代美術館へ。
下見気分で、さーっとまわる。

最終日、天気は雨、気温もぐっと下がり横浜では雪が降る。
美術館めぐりの一日。
新橋のパナソニック汐留美術館へ「ラウル・デュフィ展」。

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少年時代の思い出で、ユトリロといっしょに記憶に残っていた名前の画家。
絵画とテキスタイル・デザインと言われても、絵画の一部だけしか知らない。
ただ、ふつうの人ともマニアックな人ともがぞろぞろ来ているのが驚き。
明るくて軽いタッチに今にも小躍りしそう、は記憶どおり。
音楽が大好きというのも自分と同じでよかった。

それなりの満足感から余裕をもって、再び竹橋の東京国立近代美術館へ。

まずは工芸館「竹工芸名品展」。

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ニューヨーク、メトロポリタン美術館所蔵のアビー・コレクションの里帰り。
地味な印象にほとんど期待はなし、ええ、この高度に精緻な完成度は。

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バンブーメモリーにバンブービギンとかっての名馬を思い出してしまった。

一方、美術館では、窓をめぐるアートと建築の旅「窓展」。
あるテーマに基づく企画展というのは、時間と余裕がとても大切。
じっくり見て、味わわないともったいない。

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ワルシャワの窓から眺め撮る作品と、「タンゴ」という輪廻映像に感心する。

いつまでも芸術表現が自由に楽しめる社会を、それがあってこその人生だ。

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2019年1月 6日 (日)

日記:弘法山ハイキョング(定例山行)

日記:弘法山ハイキョング(定例山行)

正月2日は麗人街カヌー倶楽部の年に一度の例会、そしてなぜか山歩きの日。
わずかな構成員ながら寄る年波と世間の荒波にもまれてその開催すら微妙とは。
初詣の混雑を避けて選ばれたのは蒲郡の弘法山・乃木山という像の建つ山。
かつては観光でにぎやかな両山の園地を結んだロープウェイのその跡地を訪ねる。
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【山行日】2019年1月2日(水)    
【山 域】蒲郡市三谷温泉:弘法山、乃木山
【天 候】晴れ
【形 態】そぞろ歩き 軽装 HくんとNくん 
【コース】三谷温泉観光案内所付近からたらたら歩き回る
P11:10--11:20乃木山11:45--12:10弘法山13:20--13:45P

昨年は自分の膝が不調で山歩きができず、H君とN君には迷惑をかけてしまった。
体調を整えて今年こそは、だったがブラック職場のH君がぐったり疲れている。
出発前に1時間の休憩を入れて、様子を見ながらおもむろにコタツを後にする。
えっとそのなんだ、勤務時間前に休憩時間を置いて労働者のためになるのか?

車で勢いよく23号線に入ったのはよいがもたもたの列、反対車線を見ると大渋滞。
みんなどこへ行こうとしているのか考えつつ、西尾で早めに下りて旧道の地道で行く。
競艇も開催されている蒲郡市内はいつものように通り抜けるのが大変な町。
それは覚悟ができているのでぼんやりきょろきょろたらたら。
道の両側がすべてシャッター街というのは、今の日本のあるべき正しい姿でよし。

前方、山の上に堂々と立つ立派な弘法像が見えてきた。
胴色できりっとしているので遠くからでも目立つ。

まずは、にぎやかな歓迎ゲートをくぐって三谷温泉に入る。
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夜は電飾で鮮やかなんだろう、大きな温泉ホテル群。
道はすべて温泉ホテルの駐車場に吸い込まれていくのできょろきょろ。
私有地ではまずいのでなんとか公共の空き地をさがす。

道を上へ、どん詰まりの高いところが最初の目的地の乃木山。
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といっても標高は約50mぐらい。

あの乃木将軍の像が立っているからそう呼ばれている、らしい。
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だれがここに建てたのか、この地との関係は?
気になる人は自分でどうぞ。

我々の目的はロープウェイ跡地もあるが、もうひとつはこれ。
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延命山大聖寺・大秘殿。
かつて日本の観光地の一部にあったエログロ満載の秘宝館の類だ。
といっても2014年に閉館されたのでその跡地。

当時はこんな異彩を放っていた(有名廃墟・遺跡ブログより借用)。
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ただ屋根の形からも分かるようにその前は市営のプラネタリウムだった。
青少年のための学習の場が、星座から秘仏になり、そして廃墟になる。
ここでも今の日本のあるべき正しい姿が見られる。

外階段が使えるのでこそこそと少し探ってみる。
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下りて裏へまわると、証拠の品をみつける。
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他にもめぼしいものがあってよいのだが、多くは片付けられたらしい。
姉妹館の「岩戸山観世音寺・風天洞」(豊田市)に移されたかも。

建物の上にあがっていくと、すばらしい眺望が広がった。

三河湾、大島と竹島という蒲郡の観光名所、蒲郡市街、市を囲う山々。
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そして眼を弘法山方面へ向ける、と。
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かつてここから、あの山のてっぺんとをむすぶロープウェイがあった。

その間は約390mで、21人乗りのゴンドラが往来していたそうな。
市営で1958年に運行開始し1970年まで動いていた。
赤字続きだったので名鉄に譲渡されたが、1975年に廃止。

ロープウェイ発着場はおそらくこの建物(現在は観光所の施設)。
廃墟ではなくしっかりとリサイクル・リユースされている。
これが索道のあとだろう。
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次の目的地へ向かう。

観光地の近くで何かと大変だろう民家の間を抜けていく。
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車道を渡り、弘法山への坂道を上がっていく。
こちらにも三谷温泉のホテルや保養施設があり、市民プールの跡もある。

ぐるっと回るようにして進んでいくと弘法像の裏側に出た。
像の立つ丘の周囲には等間隔に石像があり、さながら霊場めぐりになっている。
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正面にまわって弘法大師像を見上げる。
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でかくて大きい、表情が濃くてリアル、でも頭でっかちでアンバランス。
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左手で子どもを抱えているが、その顔が大人と同じ、しかも鳩のたまり場になっている。

子安弘法大師像は1937年の建立、高さは18、78m(62尺)。
施主は滝信四郎という名古屋の呉服商で、旅館「常盤館」も経営していたお金持ち。
多額の金を、この弘法像や竹島橋、地元青年団などへ寄付(社会還元)している。

広場から少し下ったところに彼の石像もあるが、小さくて目立たない。
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今の日本には彼よりももっと金持ちがいっぱいいるらしいが、金の遣い方が違う。
少し前の日本を懐かしんでも仕方がない、彼こそ本当のお大尽(おだいじん)だったのだ。

横から像の裏手に上がると、池跡があり、そのむこうに三角点がある。
弘法山の標高は96.6m。

ところでここには売り出し中の観光名所がもうひとつある。
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「ラバーズヒル」で、恋人たちが愛を誓い鐘をならす場所だ。
ハート形の御札に願いを書いて金網に吊るし、南京錠などで堅く固定する。
いつまでも一緒が合言葉らしい。
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展望がこれまた素晴らしいので観光スポットとしては成功かもしれない。
パワースポットや神社がもてはやされ世相の映し鏡、その蒲郡版。

推察どおりここが、かつてのロープウェイの弘法山側の発着場。
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乗り場と索道の跡地の階段や踊り場その他をうまく転用している。
コンクリートの古さや鉄柵の錆び具合など隠しようがないが立派なリユースだ。

今日の目的はほぼ達成したので、子安弘法山の本殿に寄る。

金剛寺(高野山真言宗)で、そこにネパールの神様が付帯・同居している。
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門の近くでNくんが小さな秋を見つけ、霊場めぐりも不完全で、少し寒い。

意味不明の瞑想(迷走)に陥り、階段の下りでおおいにふらつく。
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今日の弘法山ハイキョング《山歩き(ハイキング)+廃墟見学》はなんとか終了。
来年の例会は大丈夫か、都会近くの山でお茶をにごすのか。
それよりも、自分の心配をするほうがもっと必要だ。

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2018年12月18日 (火)

日記:初めての東京旅行、覚え書き

日記:初めての東京旅行、覚え書き

東京へは数回行ったことはあるが限定された目的で旅行とは言いがたかった。
海外や国内旅行にも慣れてきた今、ロンドンやパリ、NYへと同じ感覚で臨む。
ガイドブックや案内地図ほか使われている言語が分かるというのはとてもありがたいこと。
新聞やテレビでふだん見聞きする地名や距離が少し実感を伴ってきて素直にうれしい。
それにしても日本の首都は文化や芸術など何でもあり実に恵まれたところだと思った。
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【訪問期間】2018年11月30日(金)~12月4日(火)
【地 域】東京:上野・鶯谷、京葉・潮見
【天 候】晴れ時々曇り、気温はふだんより高い

海外旅行をキャンセルして残った名古屋~成田(羽田)の航空券をパアにするのは悔しい。
東京での宿泊費などが余分の出費になるがこんな時でないとまとまった機会は取れない。
物見遊山旅にするには見どころが多いし広い、ということで美・博物館見学を中心にする。

美術館・博物館の場所と行き方、開館日や開館時間・料金などを調べる。
とにかく東京は日本の中心・玄関ということで、国立の代表的なものがたくさんある。
訪問期間の曜日と照合し、無駄なく上手に回れる方法を悩み考え、計画。
この作業がとにかく大変で、何をどのように見てくるか下調べも当然必要になる。
場所や行き方(アクセス)も一応調べるが、スマホなどを持っていないので不安だった。

30日(金)、成田に16時到着、京成本線で移動、京成上野は18時から活動開始。
金曜日は20時まで開館という『国立西洋美術館』へ。
入館時刻が遅いこともあり、料金は無料という恩恵を受ける。
昔、美術や図工の教科書で見たことのある絵が多い、それなのだ。

鑑賞後、宿泊地の鶯谷へ夜の散歩移動。
鶯谷ミュージックホールこそ不明だが派手なイオンの中にある普通(?)のホテル。
上野恩賜公園への移動基地としては申し分なし。
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翌1日(土)は連泊なので荷物を置いて、少し離れた世田谷区の個人美術館めぐりとする。
山手線で渋谷へ、東急田園都市線に乗換え、駒沢大学駅へ。
『向井潤吉アトリエ館』を目指して住宅街を歩く。
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10時開館にぴったり、うわさどおりずっと居たいと思わせる場所で、展示や応対に満足する。

次は同じ路線で用賀駅へ。
『世田谷美術館』は駅から遠く、砧公園を目印に行く(プロムナード道は知らなかった)。
砧公園は歴史があり樹木が見事な立派な公園で区民の憩いの場所という感じ。
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収蔵品が豊富で見たいものもあったが、常設展は別のものだった、でもよし。
帰りは用賀駅までプロムナード道を歩く。
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次へは二子玉川駅で大井町線に乗換え、自由が丘駅へ。
地図では線路伝いに行けば分かりやすそうだったのに方角を間違えもたつく。
道行く人や郵便配達人に尋ねても、ここは目黒区でとなりの区のことは分からない、と。
世田谷区と目黒区はとなりあわせで道一本隔てた向こうは知らない世界になるらしい。
その世田谷区の『宮本三郎記念美術館』へはようやく到着。
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「花と裸婦は、私にとって生の喜びのすべてを託するに足るモティーフである」
と語った宮本三郎、とても正直な姿勢で男の鑑なのだが、
彼の描く裸婦は、美しくてスタイルのよいモデルさんではなくまったく昭和の女。
一部眼球のないモディリアーニ風、写実というならクールベのように描いてほしかった。

人出の多い自由が丘駅から大岡山駅で東急目黒線に乗換え、JR目黒駅へ。
最後の個人美術館は目黒駅前の一等地のビルの8階にあった。
黒田清輝とも交流のあったという功績の親子の『久米美術館』。

世田谷区の個人美術館は世田谷美術館分館として周辺施設めぐりの一つでもある。
入館料はいずれも200円、65歳以上の自分は半額で文化に囲まれている感覚。
目黒区の『久米美術館』は500円で割引はなし、とても静かに見られるのが特徴。

JRや東急を乗り継ぐのに交通系ICカードは本当に便利。
JR東海のトイカはポイントも付かず割引もない殿様商売品だが、使えるだけよしとしよう。

東京乗り物旅でなんとか動けて満足、山手線で鶯谷へ戻る。
時刻は15時、少し休憩後、本命の『東京国立博物館』へ向かう。
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以前、奈良や京都の国立博物館へは行って満足、東京も来ているのだが記憶がない。

公園内は休日で人出が多くインバウンド隆盛、それでも『東博』は別格。
旗をもったガイドさんに団体さんがぞろぞろと並んで続く。
黒田清輝館を先に、入館してからはまず先に閉まる庭園へ。
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台風被害なのか異常気象かはここでも顕著で、紅葉の趣はがっくりんこ。
本館見学。
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お宝がいっぱい並んでいるが、その価値が分からない、嗚呼。
見るだけというのは辛いもの、予習した藤森さんの本も活かせなかった。

ぐったりしつつ、夕食休憩。
なにかと満腹でもう止めればいいものを、土曜日は20時まで開館がもうひとつ。
『国立科学博物館』へ行く。
ニューヨークの自然史博物館やロンドンの科学博物館も出色だったから夢よもう一度。
がっつりしっかり見たいところだが体力が続かない。
日本列島の自然と私たちをメインとした「日本館」を主に見て、一旦切り上げる。
そんな贅沢な見方ができるのも、18歳未満と65歳以上は無料という恩恵があるから。

翌2日の日曜日、朝から再び『国立西洋美術館』へ繰り出す。
気分を変えて何度も見ないと身体に受けるものがはっきりしない。
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それは何度も書いて申し訳ないが、65歳以上無料という制度のお陰。

最近はEU離脱問題でとかく話題になるUK、ロンドンでは
『大英博物館』や『ナショナルギャラリー』『科学博物館』など、誰に対しても無料だった。
文化・芸術は見るのも味わうのも、するのもとても金のかかるものである。
それらが人類共通の遺産で宝物であるなら、見る機会は誰に対しても公平でないとね。

ちょっと余裕をもって鑑賞したあとは、上野の御山こと上野恩賜公園をめぐる。
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芸大へ行き、不忍池をまわり、アイドル集会を横目に『下町風俗資料館』に入る。
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西郷どんや上野大仏ほか。
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そして再び『国立科学博物館』へ繰り出し、今度は地球生命史と人類の「地球館」へ。
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なぜに、とんびはいないのじゃ。
見るだけではないので、変化があり、時間がいくらあってもきりがないところ。

でもって夕方、次の宿泊地の京葉・潮見へ移動する。
JR東京駅で、同じ構内の京葉線への移動がかくも時間のかかるものとは、既述。
予定された乗換えの時間が少ないととんでもないことになりそうで、充分に余裕の時間を。
しかし最近、エスカレーターでは歩かずに停まってつかまる、だそうで階段を走る体力が必要だ。

翌3日(月曜日)は既述の通り、「東京都民の山、高尾山」。

最終日の4日(火)、羽田発の飛行機は19時で充分に時間がある。
連日、これでもかというぐらい忙しい時間を過ごしてきたが、この日も同様になった。
どうしても行きたいのは『東京国立近代美術館』で千代田区にあり、最寄りは竹橋駅。

アクセスが問題で路線図と地図をずっと見る。
JR京葉・潮見駅から東京メトロ東西線竹橋駅へ、迷子にならない行き方は。
東京駅や大手町駅での乗換えが目についたが、見えた(スマホ持たない情報難民の感想)。
JR京葉・八丁堀駅でメトロ日比谷線に乗換え、茅場町駅で東西線に乗り換える。
八丁堀=中村主水や日本橋というなつかしい名前がいい。

『東京国立近代美術館』はこれまた素敵なところで感動と安寧。
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さすがに工芸館へはぐったり気分で、北の丸公園で晩秋を味わう。
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武道館のいちょうは高くて今が盛り、でも彼らの見つめるものは違う。
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この日、1万人以上の同志を集めたらしい。
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最後は皇居東御苑から東京駅へ抜けて歩く。

だったら、最初からちんたら乗換えなしで歩いていればよかった、とは後の祭り。

いやはや東京は大きな町で、田舎者にはとんでもなかと。
でも文化・芸術の宝物はいっぱいあるので、そこだけは見逃してはだめさ。
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2018年10月17日 (水)

日記:山がだめなら会津観光、覚え書き

日記:山がだめなら会津観光、覚え書き

今回の東北遠征もとい観光旅行は観光パンフのような豪華な紅葉を見ること。
それは安達太良山と磐梯山でなんとか達成、当然、平地ではまだ時季尚早。
おまけに台風の通過があって天気は散々なので温泉と観光に切り替える。
裏磐梯のほかの湖沼群散策と表磐梯、会津若松・二本松の城見学など。
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【訪問期間】2018年9月27日~10月2日
【地 域】東北:福島県会津地方
【天 候】28日のみ晴れ、あとは台風通過で雨時々曇りなど

子どものころ休日に朝寝をしていると、よく親に怒られたものだ。
その口実のもとは小原庄助さん、なまけものの代名詞で民謡「会津磐梯山」に登場する。
「小原庄助さん なんで身上つぶした 朝寝 朝酒 朝湯が大好きで
      それで身上つぶした ああもっともだ もっともだ」と歌われている。

子ども心にはいい人であこがれだが、そんなことを言えるわけがない。
大人になって酒こそあまり飲まないが、朝寝こそこの世の幸せと感じるときがとても多い。
その今生の極楽で毎日過ごした人の故郷の山にやっと登れた。

山の次の日、ホテルを出ると駐車場からしっかり磐梯山が見えた。
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天気は曇り、ならば裏磐梯一の観光名所「五色沼湖沼群」を自然探勝路で見る。

この湖沼群や桧原湖・小野川湖・秋元湖などはみんな磐梯山の噴火の産物。

物産館から母沼・柳沼を見て散策路に入る。
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片道約3.6kmの道の両側に総天然色の沼や水辺を見ていく。
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瑠璃沼の展望台では背景に磐梯山の全景が見える。
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青沼・弁天沼・竜沼・みどろ沼・赤沼と続き、最後に大きな毘沙門沼。
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それぞれの沼に特徴があり、沼の色はたしかに異なる。
沼の水の源泉や一部は、前日にみた胴沼から流れてきているらしい。
道の両側は鬱蒼と茂り、苔生している。
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よく見るとその土台には大きな岩がごろごろしていて、これも噴火の産物。

たくさんの観光客とすれちがう。
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大きな毘沙門沼でもう一度、磐梯山が見られる。
歩道の終点の先に観光所があり、観光バスがひっきりなしに入ってくる。
観光客の多くはこちらが出発点で一方通行観光らしい。
来た道を引き返すと、帰りはゆるやかな上りになる。

もう少しでふりだしの出発点に戻るころに雨が降り出す。
傘をさして散歩というのはあまりしたくない、軟弱。
時間が充分にできたので裏磐梯ビジターセンターで腰を落ち着けることにする。

1888年の小磐梯の噴火、その大被害、その後の自然や復興について学ぶ。
当時の人にとって見慣れた当たり前の磐梯山の姿とは?
現在の磐梯山こと大磐梯と櫛ケ峰のあいだに噴火した小磐梯があったという。
キングギドラのように3つの頭が並んだ古磐梯山の山姿って。

いつも当然のようにそこにあるものが、忽然とすがたを消す。
130年前の噴火と山体崩壊、溶岩流などで約500人の方が亡くなる。
あまりの被害に打ち砕かれ、はじめこそ誰もが覚えていても、やがて忘れていく。
その記憶を語り伝える人がいても、やはり忘れ去られていく。

どんなきっかけでもいい、だれかがせめて写真にでも撮っておいてくれたらなあ。

次の日は朝から雨、夕方から夜、台風が通過するという。
次のホテルへは距離の短い移動なので、桧原湖を一周する。
どこから見ても趣があり味のある森の中の湖だ。
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北の端には湖に沈んだ樹木の根元が並ぶ。
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曽原湖を過ぎたところで、悪天候が予想されるこんな日にイベント。
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大事な日曜日、第12回裏磐梯秋まつりとして、お客様感謝デー!!

3mの大鍋で裏磐梯のきのこ山鍋の料理中だった。
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日中は最悪の天気にならなかったので、それだけはよかったのでは。

ダリの作品が多いことで有名な諸橋近代美術館に寄る。
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ダリに負けず劣らずの機械(奇怪)的な建物が気分を盛り上げる。
何かと特異な作品の多い、「僕ちゃん何でもできる天才だから」の彼。
ニューヨークの近代美術館やフィラデルフィア美術館でもとても目立ってた。

思い返すと1970年の大阪万博、彼の作品が目玉のひとつだった。
遠足がその万博見学になり、反対を叫び学校に残る生徒の多かった自分の高校。
先見に長けたA君だけは「俺も反対だが、あの万博美術館だけは価値がある」と。
造反有理や連帯とか若気の至りはいっぱいあったが格好よりも実を取る駆け引きには無知だった。

諸橋美術館ではちょうど「Dearパメーラ・ジューン・クルック展」の開催中。
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これがとてもよかった。
しっかりとした絵で分かりやすく、潜んでいる意味や風刺が面白い。
彼女はキングクリムゾンのCDジャケットのほとんども手がけているという。
そう言われれば納得もいくが、「~宮殿」や「ポセイドン~」は違うので、あらまあまあ。

そんな寄り道をしながら猪苗代湖を見下ろすホテルに入る。
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台風当日なのでキャンセルが多く、よくぞ来てくれたと夕食に飲み物サービスが付く。
裏のスキー場にはサマージャンプ場?もある。
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建物ががっしり大きいので、夜半の台風の通過はまるで分からなかった。

台風一過の翌日も天気はあまりよくならず、会津若松へ行く。
途中、猪苗代湖を別の角度から見る。
車の中からだが、大きいというかなんとでかい湖だこと。
磐梯山山頂からこれを見たら虜になるだろうな、見られなかったがことが悔しい。

会津若松では、なんといっても会津鶴ケ城へ。
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北出丸から入って本丸や天守閣、茶室を見学する。
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今年は戊辰150年ということで、天守閣の全館が幕末・戊辰戦争特集ということ。
会津といえば昔から一番に「白虎隊」で、二番や三番は出てこない。
でもどうして白虎隊のほぼ全員が切腹ということだけが有名であり続けたのか。
あの、主君に殉じる英雄的(悲惨)な事件は、会津藩の在り方と真逆ではないか。

のちのち活躍した人物はみな、あそこで殉死や無駄死はせず、生き延びている。
藩校などで若者や白虎隊を指導した面々は、言っちゃ悪いが責任など取っていない。
いつでもどこでも、闘いや戦争を煽る連中は、決して自分ではそれをしない。
薩長が中心の明治政府は来るべき戦争に向けて白虎隊の死に様だけを利用したとも。

観光旅行の最後の宿は安達太良山山腹の大玉に取る。
ゴルフ場の施設を一般にも開放、というもの。
部屋からも浴室からも眺めがとてもいい。
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夜間から朝にかけてふたたび雨が降ったりして、結果、いいものが見られた。
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近くのフォレストパークは臨時休業、野生生物共生センターだけ開館していた。
少しの散歩のあと、センターの剥製を見る。
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猿投山でいつも見ているのは、残念、これではなさそう。

まだ高速道路の入るには早いので、二本松城を見学する。
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有名らしい菊花展の準備中で、舞台裏というのはとてもシュールでよろしい。
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二本松城址はなかなか険しい立体感のあるところで、石垣が美しかった。
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天守閣のあった位置からは安達太良山連峰が見られ、城の存在感は大きい。
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ここの家臣は戊辰戦争の負けの責任をしっかり取っていた、と。
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帰路は東北道、圏央道、新東名をたらたらと深夜割引に間に合うように帰る。
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2018年7月 2日 (月)

日記:北海道にも梅雨や花粉症がある!

日記:北海道にも梅雨や花粉症がある!

札幌、北海道にはすっかり魅せられて、季節をかえて訪れたくなる。
梅雨のこの時季、週間天気ではずっと晴天が続く北海道を期待していた。
ああそれなのに直前から急変、梅雨のような天気と、なんと花粉症にも。
富良野・美瑛へのツァーとか、札幌市内をうろうろと美食にふける。
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【訪問期間】2018年6月25日~29日
【地 域】北海道:札幌市、富良野・美瑛
【天 候】到着日は10度、翌日は晴れ、のち梅雨状態

往復航空券とホテル宿泊(朝食付き)のついた4泊5日のツァー、お値打ち。
当日までずっと天気がよかったのに空港から札幌へ向かう電車内は少し変。
気温も愛知と同じぐらいだったのに、みなさん厚手のコートを羽織っている。

翌日だけバスツァー「富良野・美瑛のファームや花畑をめぐる」を入れる。
ラベンダーが色づき香る、という旬には少し早いので料金はその分、安い。
札幌駅北口のバス乗り場から出発、一部高速を通って富良野を目指す。
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天気が晴れから曇りになっていくのが残念。

まずはラベンダー畑といえばここ、という「ファーム富田」で2時間見学。
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北海道を代表するファーム、というだけあって団体バスや車が殺到している。
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お客さんの8割は外国からの人々、という感じでなんとなくリッチ。

最盛期には早すぎるがそれなりの花などで畑を彩っている。
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十勝岳連峰がくっきりと見られ、いつかは登ってみたいと思うのだが、それはもう・・・。
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次に「美瑛・四季彩の丘」という花の模様の丘。
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以前来た時は、じゃがいもをバターで食べる、というそれが目玉だった。

そこに営業努力で、カートやバギーという乗り物そしてアルパカ牧場を加えた。

高低差のある丘に花をうまく配列し、その間をトラクターことノロッコ号でめぐる。
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その料金や入園料などを軽く計算すると、おお、たくさんの雇用を生み出してる。

次は「白金・青い池」で、話題のブルーの池の散策なんだそうだけど。
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これって、岐阜・関のモネの池と同じパターンかな。
人里はなれたところにあったふしぎな場所が人伝に広がって名所になる、それ。
別にハコものを作るでもなく、行政はせめて駐車場や道路を整備するだけでよい、と。

そして「深山峠展望台」、十勝岳連峰を見渡す絶景ポイント、と言われても。
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ここはおそらく昔から、ツァーバスの寄り場だったんだろうと思わせる。

これで終わりかと思えば、一番大事なところらしい「フラノマルシェ」でお買い物。
そんな日帰りバスツァー、いいところだけ寄ってそれなりに楽だから人気がある。

次の日は雨、近代美術館に行くと展示入替えで閉鎖中。
となりの知事公苑へ寄る。
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雨の日だから深追いはできないが雰囲気はいい、でも建物は修理中で入れず。
事前にちょっと調べればいいのだが、スマホという便利な手段は持っていない。

がっくりしつつ地下鉄に乗るのもしゃくだから、傘をさして歩いていく。

続きだと北大植物園になるのだが別の方角に今回の唯一の目的地があった。
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大通り公園の外れにあたる札幌市資料館。
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朝日新聞夕刊に連載の「アートトリップ」からアートの定義を問う巨石を見に行く。
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島袋道浩・作「一石を投じる」という2014年の第1回札幌国際芸術祭出品作。
アイヌの聖地とされる二風谷から10トン超の自然石「幸太郎石」を運び、
手を加えずに北海道庁前に設置した、ということ。
注目の的になったが、安全面などの理由で場所を代え、現在はここに仮置きとのこと。

資料館の中に入ると、ここは市民のミニギャラリーでもあってしっかり利用されている。
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写真展や絵画展、書画作品展など、どの会場も文化の香りが漂っていて気持ちいい。
有名な美術館や博物館もいいが、意識の高い市民のそれはもっと楽しめる。
今はなき「おおば比呂氏」記念館もあって、これは思わぬ拾い物になった。
没後30年の今年は、この8月に特別展が開催されるとのこと。

建物の外に出ると雨は小降りになっていた。
ならばということで公園をずっと歩いていく。

ニュースで紹介されていた花壇コンクール作品もしっかりと見られた。
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大通りから札幌駅までの地下歩行空間を行けば、ラン展も楽しい。
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ついでにモンベルのでかい店舗に入る。
こんな時だからこそいろんなグッズをしっかりと見て細かいところまで比較できて感動もの。
満足して、いつも行く寿司屋で満腹になる、これは遺憾かった。

次の日も天気はダメだったが、ぎりぎり曇りとも。

いつも行く「国営滝野すずらん丘陵公園」へ地下鉄とバスを乗り継ぐ。
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天気がぱっとしないので空いていたが、そこへ団体さんや学校の遠足が入る。
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見どころの花、といえば期待してはいけないが、それなりに見られるもの。
散歩を兼ねてデジカメる。
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ていねいに植栽されたものはそれなりに決まっている。
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これはねらっているのか、自然に増えてしまったものなのか。

ちなみに大通り公園ではいろんな種苗が販売されていた。
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でもこんなのが簡単に見られる、というのは内心複雑な気持ちになる。
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かつてはヒマラヤの高地にだけ咲くまぼろしの花だったのに、技術が進むとありがたみが。

よく手入れされた花壇には感謝です。
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そんな梅雨時の北海道。
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2018年2月 5日 (月)

日記:こんな日が自分にも来た

日記:こんな日が自分にも来た

「形あるモノはいつか壊れる」
頭ではわかっていてもいざそうなるとびっくりし、あわてふためく。
昨日までずっとなんともなかったのだから本当に困る。
そんな状態になってかれこれ2ヶ月、やっぱり異常と言うか壊れたようだ。

足の右ひざに痛みが走り、普通に歩けない状態が続いている。
ひざを動かしている部位のどこかが磨り減ってしまったのだろう。
刺すような痛みがくるので歩くときは慎重になる。
痛みが走ると、右足全体がカクンとなりよろけてしまう。
右足を軸足にできないので、階段の下りなどでは左足だけでつないでいく。

そのうちなんとかなるだろうとはじめは思ったのだが甘かった。
湿布したりサポーターも使ったが痛みを多少散らすだけのようだった。
ただ、不便な状態に慣れてきて慎重でありさえすればなんとかはなる。
ということで未だに医者へはかかっていない。

困るのは日常生活のかなりの部分と、散歩や山歩きができないこと。
調子のよさそうな時に軽い散歩だけはおこなっている。
山歩きは一度、標高差の少ない西尾の里山の万灯山へ行った。
生きものふれあいの里から山へ向かう。
Dsc05640

山頂まではなんとかなったが、標高差50mの下りが大変だった。
Dsc05658


一般論として山歩きでは、ひざの痛みや故障が多いらしい。
だからふだんから準備運動をきちんと行い、ストレッチをかかさなかった。
時間ごとに屈伸とひざ回しをきちんとするのも自分のルーティン。
はじめは調子がわるくても少し歩くと治まるのがいままでだった。
だから、自分のひざに痛みがあらわれて途方に暮れている。

なんとかならないまま右ひざをかばうので、歩き方が変ってしまったようだ。
少しの時間歩くだけで、反対側の左足が鉛のように重く感じる、とか。
両足の筋力が目に見えて衰えた、とか。

右ひざの急変に対して、ずっと心が追いつかないでいる。
すりへりの磨耗なら歩きすぎだし、普通に年齢からくる単なる老化なのか。
でも、こんな日が自分にも来たらしい、ということ。
今まで何もなかったのは、単に運が良かっただけだった。

そんな鬱屈した日々の今日。
仕事先で車を停め、いつもするようにドアミラーを格納した。
左右ともに納まったのに、右側からずっとモーターの回り続ける音がする。
いろいろといじってみても変らず、モーターのうなるような空回り音が続く。
右側のドアミラーこと「アウトリヤビューミラー」の故障、のようだ。
エンジンを切れば音はしないが、動かすとずっとうるさく空回りしている。

数日前に9年目の車検を受けたK社に持って行く、そのうるさい20分間の長いこと。
K社では、部品の磨耗なのでそっくり交換とのこと、ただ料金は4万円と。
でも朗報、スズキではその部位の保証期間が3年から10年間に変更されたとのこと。
適応範囲ということで、スズキの直販店を紹介してくれた。
K社から直販店への移動時間の20分間もうるさい音を聞きながら、でも。
スズキの直販店の対応はなるほど丁寧で、右だけでなく左も無料交換するとのこと。

この社会が信用と安心の保証で成り立っていることを教えてくれた。
最近は裏切られることがはびこっているので余計にそう感じる。

そういえば今の自分の仕事、バイトだけど火災報知機の交換をしている。
Dsc05342

マンションやアパートの各部屋に法律で設置が義務付けられてから10年。
交換時期が来ているので機器をまるっと取り替えている。
電池だけの交換でも理論上いいのだが、機種の劣化を考慮してのこと。

その10年前の火災報知機だが、10年を経てもきちんと作動している。
当たり前のことといえばそうだが、保障期間の10年を正常に保っている。
いったい10年間もつという電池ってどういう構造なんだろう。
でもそれだってあと数日とか数年である時突然、切れて作動しなくなる。
その日は、どんな風にくるのだろう。

火災報知機の機械部分、基盤にしたところでどうなんだろうか。
煙や火災を探知しないで何もされないまま10年間をじっとそのままでいる。

これが不思議、というかこの機械の肝心なところ。

普通の電化製品は使わなければどんなものでも壊れてしまう(動かなくなる)。
ステレオでもカメラでもなんでも、故障するでもなく動かなくなってしまう。
部品のコンデンサーに通電しないと劣化して働かなくなるというのが主らしい。
火災報知機はその逆を行くのだから、逆転の発想の産物というのだろうか。

そして火災報知機にも当然のように、作動しなくなるその日はやってくる。
電池でも機械でも寿命があり、働か(動か)なくなるときが必ず来る。
その境界やきっかけはどんな風なんだろう。
みんなその日をどんな顔して迎えるのだろう。

うつらうつら、外してきてまだ正常に作動するたくさんの火災報知機を前に、
処分するなら当然それらは産業廃棄物あつかいになるのだけれども、
分解して、せめてプラスティック部分は資源ごみに、とか考えている。

機械も資材も生身の体も、寿命があり、身の振り方を考えないと・・・。

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