日記:山がだめなら会津観光、覚え書き
今回の東北遠征もとい観光旅行は観光パンフのような豪華な紅葉を見ること。
それは安達太良山と磐梯山でなんとか達成、当然、平地ではまだ時季尚早。
おまけに台風の通過があって天気は散々なので温泉と観光に切り替える。
裏磐梯のほかの湖沼群散策と表磐梯、会津若松・二本松の城見学など。

【訪問期間】2018年9月27日~10月2日
【地 域】東北:福島県会津地方
【天 候】28日のみ晴れ、あとは台風通過で雨時々曇りなど
子どものころ休日に朝寝をしていると、よく親に怒られたものだ。
その口実のもとは小原庄助さん、なまけものの代名詞で民謡「会津磐梯山」に登場する。
「小原庄助さん なんで身上つぶした 朝寝 朝酒 朝湯が大好きで
それで身上つぶした ああもっともだ もっともだ」と歌われている。
子ども心にはいい人であこがれだが、そんなことを言えるわけがない。
大人になって酒こそあまり飲まないが、朝寝こそこの世の幸せと感じるときがとても多い。
その今生の極楽で毎日過ごした人の故郷の山にやっと登れた。
山の次の日、ホテルを出ると駐車場からしっかり磐梯山が見えた。

天気は曇り、ならば裏磐梯一の観光名所「五色沼湖沼群」を自然探勝路で見る。
この湖沼群や桧原湖・小野川湖・秋元湖などはみんな磐梯山の噴火の産物。
物産館から母沼・柳沼を見て散策路に入る。

片道約3.6kmの道の両側に総天然色の沼や水辺を見ていく。

瑠璃沼の展望台では背景に磐梯山の全景が見える。

青沼・弁天沼・竜沼・みどろ沼・赤沼と続き、最後に大きな毘沙門沼。

それぞれの沼に特徴があり、沼の色はたしかに異なる。
沼の水の源泉や一部は、前日にみた胴沼から流れてきているらしい。
道の両側は鬱蒼と茂り、苔生している。

よく見るとその土台には大きな岩がごろごろしていて、これも噴火の産物。
たくさんの観光客とすれちがう。

大きな毘沙門沼でもう一度、磐梯山が見られる。
歩道の終点の先に観光所があり、観光バスがひっきりなしに入ってくる。
観光客の多くはこちらが出発点で一方通行観光らしい。
来た道を引き返すと、帰りはゆるやかな上りになる。
もう少しでふりだしの出発点に戻るころに雨が降り出す。
傘をさして散歩というのはあまりしたくない、軟弱。
時間が充分にできたので裏磐梯ビジターセンターで腰を落ち着けることにする。
1888年の小磐梯の噴火、その大被害、その後の自然や復興について学ぶ。
当時の人にとって見慣れた当たり前の磐梯山の姿とは?
現在の磐梯山こと大磐梯と櫛ケ峰のあいだに噴火した小磐梯があったという。
キングギドラのように3つの頭が並んだ古磐梯山の山姿って。
いつも当然のようにそこにあるものが、忽然とすがたを消す。
130年前の噴火と山体崩壊、溶岩流などで約500人の方が亡くなる。
あまりの被害に打ち砕かれ、はじめこそ誰もが覚えていても、やがて忘れていく。
その記憶を語り伝える人がいても、やはり忘れ去られていく。
どんなきっかけでもいい、だれかがせめて写真にでも撮っておいてくれたらなあ。
次の日は朝から雨、夕方から夜、台風が通過するという。
次のホテルへは距離の短い移動なので、桧原湖を一周する。
どこから見ても趣があり味のある森の中の湖だ。

北の端には湖に沈んだ樹木の根元が並ぶ。

曽原湖を過ぎたところで、悪天候が予想されるこんな日にイベント。

大事な日曜日、第12回裏磐梯秋まつりとして、お客様感謝デー!!
3mの大鍋で裏磐梯のきのこ山鍋の料理中だった。

日中は最悪の天気にならなかったので、それだけはよかったのでは。
ダリの作品が多いことで有名な諸橋近代美術館に寄る。

ダリに負けず劣らずの機械(奇怪)的な建物が気分を盛り上げる。
何かと特異な作品の多い、「僕ちゃん何でもできる天才だから」の彼。
ニューヨークの近代美術館やフィラデルフィア美術館でもとても目立ってた。
思い返すと1970年の大阪万博、彼の作品が目玉のひとつだった。
遠足がその万博見学になり、反対を叫び学校に残る生徒の多かった自分の高校。
先見に長けたA君だけは「俺も反対だが、あの万博美術館だけは価値がある」と。
造反有理や連帯とか若気の至りはいっぱいあったが格好よりも実を取る駆け引きには無知だった。
諸橋美術館ではちょうど「Dearパメーラ・ジューン・クルック展」の開催中。

これがとてもよかった。
しっかりとした絵で分かりやすく、潜んでいる意味や風刺が面白い。
彼女はキングクリムゾンのCDジャケットのほとんども手がけているという。
そう言われれば納得もいくが、「~宮殿」や「ポセイドン~」は違うので、あらまあまあ。
そんな寄り道をしながら猪苗代湖を見下ろすホテルに入る。


台風当日なのでキャンセルが多く、よくぞ来てくれたと夕食に飲み物サービスが付く。
裏のスキー場にはサマージャンプ場?もある。

建物ががっしり大きいので、夜半の台風の通過はまるで分からなかった。
台風一過の翌日も天気はあまりよくならず、会津若松へ行く。
途中、猪苗代湖を別の角度から見る。
車の中からだが、大きいというかなんとでかい湖だこと。
磐梯山山頂からこれを見たら虜になるだろうな、見られなかったがことが悔しい。
会津若松では、なんといっても会津鶴ケ城へ。

北出丸から入って本丸や天守閣、茶室を見学する。

今年は戊辰150年ということで、天守閣の全館が幕末・戊辰戦争特集ということ。
会津といえば昔から一番に「白虎隊」で、二番や三番は出てこない。
でもどうして白虎隊のほぼ全員が切腹ということだけが有名であり続けたのか。
あの、主君に殉じる英雄的(悲惨)な事件は、会津藩の在り方と真逆ではないか。
のちのち活躍した人物はみな、あそこで殉死や無駄死はせず、生き延びている。
藩校などで若者や白虎隊を指導した面々は、言っちゃ悪いが責任など取っていない。
いつでもどこでも、闘いや戦争を煽る連中は、決して自分ではそれをしない。
薩長が中心の明治政府は来るべき戦争に向けて白虎隊の死に様だけを利用したとも。
観光旅行の最後の宿は安達太良山山腹の大玉に取る。
ゴルフ場の施設を一般にも開放、というもの。
部屋からも浴室からも眺めがとてもいい。


夜間から朝にかけてふたたび雨が降ったりして、結果、いいものが見られた。

近くのフォレストパークは臨時休業、野生生物共生センターだけ開館していた。
少しの散歩のあと、センターの剥製を見る。

猿投山でいつも見ているのは、残念、これではなさそう。
まだ高速道路の入るには早いので、二本松城を見学する。

有名らしい菊花展の準備中で、舞台裏というのはとてもシュールでよろしい。



二本松城址はなかなか険しい立体感のあるところで、石垣が美しかった。

天守閣のあった位置からは安達太良山連峰が見られ、城の存在感は大きい。

ここの家臣は戊辰戦争の負けの責任をしっかり取っていた、と。

帰路は東北道、圏央道、新東名をたらたらと深夜割引に間に合うように帰る。

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