電影(映画)

2022年7月30日 (土)

映画『ワン・セカンド 永遠の24フレーム』

映画『ワン・セカンド 永遠の24フレーム』

監督・脚本:チャン・イーモウ
出演:チャン・イー、リウ・ハオツン、ファン・ウェイ
2020年、中国語、103分、原題「一秒神」

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『文化大革命時代の中国が舞台。広大な砂漠のなかにある村。
フィルムの中にたった1秒だけ映し出されているという娘の姿を追い求める父親と、
幼い弟との貧しい暮らしを懸命に生き抜こうとする孤独な少女。
決して交わるはずのなかった2人が、激動の時代の中で運命的に出会い、
そして彼らの人生は思いがけない方向へ進んでいく・・・。』

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テレビも、もちろんYouTubeもなかったころ。
そんな映像娯楽の少なかった時代に、人々は映画に熱狂した。
数か月に1回、巡回してくる映画の日は、村をあげての祭りの日。
そんな日を待ち望む人々にとって映画を上映できる映写技師は殿上人。
どんな無理難題を言われても、素直に従い、みんなで協力する。
それぐらい「映画」は大切で素晴らしいモノだった。
いろんなフィルムがたくさんあるわけでなし、同じ作品でも喜んで見た。
本編前のニュース映画だって宣伝広告とわかっていても貴重な情報源だ。
そんな地方の様子を知らせる映像の、その人々の中に一瞬映った娘。
それが昔、生き別れした娘の成長した姿だと知らされた父親。
彼の頭の中で、少ない記憶と妄想がとんでもなく増幅されたことだろう。
実際の娘に会うのではなく、
本当の娘らしいというだけのその映像を求めて彼はなんでもやってしまうのだから。

一方、だれもが待ち焦がれる映画の、そのフィルムを盗む女。
身体も弱く、勉強だけが生きがいの弟のために借りた燭台。
当時は電灯や明かりもそんな田舎ではとても貴重だった。
その貴重な燭台の覆い笠が、おしゃれにフィルム片で作られていた。
それをなくしてしまったのだから、現物で作って弁償するしかない。

ここらへんは、思い出して書いていても無理のある筋立てだ。
貧しい姉弟をいじめるいじめっ子たちというのは、如何にも現代的だし。

それでもなおチャン・イーモウ監督や当時を知る多くの中国人にとって、
それは今はとても豊かになった人々にとっても、
当時、どうしてあれだけ映画に熱狂できたのか、という記憶の物語なのだ。

映画だから作り物だということはわかっている。
物や道具、ロケ地も時代考証するのは当たり前のこと。
でも作り物ではなく、貴重な映像資料を見ている感じになる。

はじめは藤原竜也にしか見えなかったあの貧しい娘が、
時を経て現れると、
純真無垢な娘、に変身している。

たった1秒の面影が、現実には・・・化けている。

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これは映画ファンの願いでもあるけど、監督の夢なんだろうな。
だれもが虜になった女優たちの再来ではないか。
コン・リー、チャン・ツィイー、ドン・ジェ、・・・
こうして女優伝説は引き継がれていく。

またあの高倉健さんが、中国で圧倒的に人気がある理由にも納得。
この作品の時代から少し経ったころ、あのスクリーンに出ていたんだから。
それを当時、見ていたのがチャン・イーモウ青年。
あれから半世紀。
映画はずっと人々の傍にいてくれる、もちろん自分の傍にも。
ありがたいことだ。

今年5月に封切られ、7月に刈谷日劇でみる。
機会があれば、お見逃しなくどうぞ。

 

 

 

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2017年12月31日 (日)

映画:2017年 今年の七本

映画:2017年 今年の七本

今年のトップセブン(順不同)。
惰性で綴る、単なる好きなものだけ、という自分の覚書。
分母は350以上と数だけはとても多い、でも今年の封切はほとんど見ていない。
その少ない封切作品から選んだので「今年の~」という書き方は本当に心苦しい。

《欧米映画》
『マンチェスターバイザシー』 生きていればイヤというほど感じる世間の不条理、でもね
『オンザミルキーロード』 結局戦火からは逃れられず、ならば共に歩む愛の世界 
『ドリーム』 成功話、英雄譚にはかならず裏があるものなのってか

《アジア映画》
『お嬢さん』 あやしげでつたない日本語に興奮しますがな
『牯嶺街少年殺人事件』 数十年ぶりの再見、細かく造りこまれていた瑞々しさ
『台北ストーリー』 牯嶺街~から数十年、色んなことがあったからそうなるのも仕方ない
『グレイトウォール』 東と西では生き方も考え方も死に方も違う、でもね

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映像も音楽も記録媒体の進化と再生機械や方法の変化はめまぐるしい。
毎日おびただしい情報が世間を飛び交い、頭の上を静かに通り過ぎていく。
ラジオ、テレビ、新聞・雑誌は、インターネットに追いついてきたのか、相手にしないのか。
スマホもタブレットも持たず、SNS、Lineともつながらない我が生活。
でも、世の中は便利になったような気がする。

映画は映画館でみること、を本分としてきた自分だが、今やまったくの降参。
名古屋の映画館(スコーレ・名演・伏見ミリオン)は遠いし、時間も金もかかる。
TOHO東浦、MOVIX三好、安城コロナも同じく、刈谷日劇さんでさえ遠く感じる。
ケーブルテレビキャッチの放映などビデオやHDに記録するほどのものはまるでない。
違法でがさつなYouTubeの映像は、たまさか貴重なものがあるので離れられず。

今年はどっぷりNETFLIX生活に浸る。
新作は相変わらず少ないが、作品数だけはどんどん増えている。
見たい作品をマイリストに溜めておくのだが、60本以上にはらんでしまって。
でも、面倒な手間がなく観たいときに即、その世界にひたれる便利さは手放せない。

ということで、Netflixで見てよかったものを。

『ゴッドファーザー3部作』映画ノアールの王道というか、すべてがここにはある
『バウンスkoGALS』’97年作品が微妙なバランスで今なお新鮮という
『うつしみ』園子音’00年作品。まったく息を切らさずに走る女優さんの意気の良さに感動
『ひそひそ星』も園子音’15年の作品で傑作。彼の作品はとにかく数を見ないと
『その日の雰囲気』韓国’16年作品。女優さんの男への対応演技が韓流の基礎見本のようで
『フォトグラファーズインNY』’13年作品だけどずっと以前のこれぞ写真家が活躍していた世界
『ビッグリボウスキ』『バッファロー’66』『パルプフィクション』『プランマン』などもよかった。
キム・ギドクも一部ならなんとかなるし。
音楽モノのドキュメンタリーでは『コルトレーンを追いかけて』がためになった。

一方、思わせぶりのタイトル作品はたいがいその場限りのものが多い。
そんな時は、かつて見てよかった好きな作品を再び見ては感慨にふけっている。
この時間を持てるのが「小確幸」かな。
最近では『LoveLetter』や『ストロベリーショートケイクス』。
岩井俊二は言うまでもないし、『ストロベリー~』は生態観察なんだから。

以上、最近のぐうたらなまとめ。
毎日1本、できれば2本、映画を観ては妄想に浸ろう。

でも昨晩刈谷日劇でみた『すばらしき映画音楽たち』はあらたな発見があった。
というかそれは、アイドル音楽に対するマキタスポーツの著、
「すべてのJ・POPはパクリである。」
の論に通じるものがある。

映画音楽の世界でも個別の独立系など天分や才能で評されるものもあるが、
巨大資本が注ぎ込まれた世界でのそれは
たくさんの蓄積され磨き上げられてきた集合体の結実なので
有無を言わせぬすばらしさがあって当然、というもの。

御意。

で、結論。

よい大人は映画館できちんと入場料を払って映画を鑑賞しよう。

クストリツァやホドロフスキー、エドワード・ヤンやウェイ・ダーションなら当然。
城定秀夫も加えたいけどそれは無理でしょ。


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2017年3月19日 (日)

映画『架け橋~きこえなかった3.11』『春よこい』

刈谷日劇で3月24日まで上映中の2作品の紹介。

今村彩子監督『架け橋~きこえなかった3.11』
安孫子亘監督『春よこい~熊と蜂蜜とアキオさん』

ともにずっしりとくる作品で、感じることは多い。
こんな素晴らしい組合せ番組が回数券を使えば500円だなんて、刈谷日劇すごい。

◇ ◇ ◇

映画『架け橋~きこえなかった3.11』
監督・編集:今村彩子
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『東日本大震災が起きた時、津波警報が聞こえなかったために亡くなった人たちがいた。耳の聞こえない人たちだ。ろう・難聴者は、外見は障害のない人と同じだが、警報や避難放送などの情報を得にくいため、災害時には更に弱い立場に立たされる。命を守る情報に格差があってはならない。自分も耳が聞こえない今村彩子監督が地震の11日目後に宮城を訪れ、2年4か月間かけて取材、一般のテレビや新聞では報道されなかった聞こえない人たちの現状を伝える渾身のドキュメント。』

たまたまこの作品をみた日の新聞に、興味深い記事があった。

ろう・難聴者の日本語が変?
と感じるのは、
「ろう者に日本語の能力がないのではありません。
ろう者の母語は手話で、日本語は第2言語だからです」
と、《テンダー手話・日本語教室》を営む鈴木隆子さんが話す。
   朝日新聞『けいざい+、ろう者の祈り』より引用

日本人だから日本語ができてあたりまえ、なんて思っていた無知と無恥。
普通とかあたりまえ、なんて言ってるのは自分にとって都合の良い思い込みだった。
例えば学校で習った第2言語の英米語で意思表示ができるか、といえば・・・無理。

ろう・難聴者の方々にとっての言語は、目にする情報だけしかない。
視覚障碍者にとっての言語は、耳できこえるものがほとんど。
日本語が分からない人にとっては、目や耳や感覚全てで判断するしかない。

そういう方が自分の周囲にいる、ということ。
そういう方を意識し、少しでも配慮する気持ちをもつこと。
人として生きていくうえで、考えること、やるべきことは多い。

いろんなことを気づかせてくれる作品、今村監督の直球。

◇ ◇ ◇

映画『春よこい~熊と蜂蜜とアキオさん』(65分)、2015年
監督・撮影・編集:安孫子亘
出演:猪俣昭夫 福島県金山町のみなさん
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『福島県の奥会津/金山(かねやま)町に暮らすマタギを描いた物語である。2011年、東日本大震災・福島第一原発事故の放射能は130km離れた金山町の自然にも降り注いだ。野生動物をはじめ、町の観光資源でもあるヒメマスも汚染された。金山のマタギは熊を撃つことだけが目的ではない。その刻々と変化する自然環境の変化を我々人類へ伝える役目をしている。福島原発の事故以来、世界中が自然との共生へ歩み始めた。自然とは何か。手付かずの自然が良い訳ではない。人と自然が共に暮らすための術をマタギである猪俣昭夫は教えてくれた。山の神を崇拝し、山のおきてに従い熊を追う。福島県奥会津に伝わるマタギの精神をいま、猪俣昭夫は子供たちへ伝えている。』

マタギの印象といえば狩猟を生業とするとっつきにくい寡黙な山人だった。
過酷な自然の中で生きているので本人も頑丈でなければならない。
感情に流されたり、我慢ができないような人間には到底無理。
朴訥になるのは生き様がそのまま性格になるのだろう。
今というか現代のマタギ、猪俣さんもまったくそのとおり。
でもカメラの前の彼は人間味あふれる方で勇敢にして実に謙虚。
クマに荒らされた白菜畑を見て、その畑主の冬に食べる漬菜の喪失を嘆き同情する。

◇ ◇ ◇

そして4月末からの連休であの作品を上映予定、だなんて。
昔、名古屋シネマスコーレで観たときは、よくわからなかったからなあ。
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ここが舞台だったんだよなあ。
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2017年1月 9日 (月)

映画『Start Lineスタートライン』

映画『Start Lineスタートライン』(112分)、2016年

監督・撮影・編集:今村彩子 撮影:堀田哲生
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『耳、聞こえません。
コミュニケーション、苦手です。
そんな私の 沖縄→北海道57日間自転車旅。』
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自転車で日本を縦断するロードムービー、でドキュメンタリー作品。
長い旅の主人公、今村監督は自転車に関してはほとんど初心者レベル。
伴走者にしてカメラ撮影の哲さんは、自転車店の専門スタッフであり空手家。

最近の映画『わたしに会うまでの1600キロ』『ロング・トレイル!』で共通すること。
主人公たちがこれから自分の行うこと(トレッキング)に対して初心者であること。
たてた計画がどんなに無謀(簡単?)でも、そのことすらほとんど分かっていない。
一応、多少の準備や練習はするけれど、ずぶの素人ではない、というぐらい。

だから予想通りとんでもないことがいくつも続けて起こって飽きられることがない。
不安はあっても身構える術もないのだから、怖いものもない。
そもそもその計画は、みんながやっているからたぶんできるだろう、という感じ。
どこかで必ず苦労し、それを乗り越えていく過程に期待して舞い上がってしまう。
実行し達成できたら、という結末の成功物語が見えてしまう。

という作品かと思っていたら、思わせぶりはすぐに軌道修正。
主題は明白。
他人との苦手なコミュニケーションのとり方を、旅を通して克服すること。
過酷な自転車旅の中に自分を追い込むことで、自分の殻を破ること。

それにしても始まりは『わたしに会うまでの~』主人公とまるで同じ。
見た目や格好、装備はいいんだけど、いろんな意味での経験が少なすぎる。
だからそれをなんとかするためには、少し遅いけど学習するしかない。
自転車旅で起こる日々のいろんな失敗や成功の体験から反省し満足する。
まさしく学習するって心理学用語の「経験による行動の変容」なんだから。

自分ひとりでくよくよ悩むだけではなく、周囲の人から学ぶことも多い。
ということで、課題は明白。
彼女の前に、常にそれが大きく立ちはだかる。

でもこれって彼女だけではなく、だれの身近にもいつもごろごろ転がっていること。
みんなが問題として分かってはいてもいつも悩んでいることなのだ。
それがとてもわかりやすいかたちで示され、結果も当然だろうと納得してしまう。
一緒に悩み苦しみながら、そうなんだ、それがうまくできないからいつも困っている。
それをいつも言いたいんだけど、言えばケンカになってしまって、それでおわり。
分かるんだけどさあ、それができない、というか。

自分のまちがいを認めず、分かるように言っても謝らない。
そんな仲間がいたら困るし、それが上司だったら地獄か陰で腐ってやる。
でも、計画上手で気配りがきき、なんでも簡単にできてしまう人が相手でも困る。

自分は山歩きが好きだから、今村さんと一緒に行動すると堀田さんと同じ態度かも。
だからといって堀田さんとうまくいくかといえば、最初だけかもしれない。
お互い要求水準が違うと思うから、どこかで衝突し、ケンカ別れになるだろう。
そうならないためには、お互いの意見や考えを充分に出し合って、話し合うこと。
その上で、認めるところは認め、譲るところや止めるところをはっきりさせる。
そんな包容力があり、譲り合いの精神というか、寛容のこころ。
口先だけで「寛容」と何回でも言えばいいわけでなく、態度であらわせないと。

きれいごとは以上、実際はまず無理だから自分は単独行動を取る。
自転車旅や山歩きなら、無理して相手にあわせなくてもそれでいい。

ところが結婚とか命がかかわる情況だったら、お互いで解決するしかない。

無視やケンカで済むならいいけど。

結局、相手と何らかのかたちで意思疎通をはからないとそれもできない。
それは普通、ことばが解決すると思っていたけど、浅はかな考えだった。
自分が普通だと思っているその普通は、一部だけで通用する特別な普通だった。

今村さんの作品は、そんな「普通」に気がつける人でありたい、とずっと思わせてくれる。
ケンカするにも、協力するにもそれがないと始まらない。

人間関係って本当にむずかしいし面倒くさい。
だけど勝手な思い込みで相手を避けるよりは、相手の目をじっと見て。
それが人間関係のスタートラインって、御意。

お勧め度は ★★★★  刈谷日劇にて

今村監督の舞台あいさつがあり、話の中心も当然そのこと。
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でも監督、そんなことくりかえさなくても、映画でしっかり分かりましたぜ。

それから監督、余分なことを言って申し訳ないけど、太ももが細くなってしまって、残念。
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2016年12月31日 (土)

映画:2016年 今年の十本

映画:2016年 今年の十本

今年のトップテン(順不同)。
単なる好き嫌いだけの自分だけの覚書。
分母は250ぐらいと多い、でも今年の封切はあまり見ていない。

《欧米映画》
『放浪の画家ピロスマニ』 独学の輝きと世間、静か過ぎる生き様
『レヴェナント蘇りし者』 じっくり煮詰め燃やす復讐の炎、映像美
『シング・ストリート』 仲間とのバンドと曲作り、うらやましい限り

《アジア映画》
『若葉の頃』 母と娘の十七歳の恋、青春は当然のように逸脱する
『pk』 神様の存在は似非神様があってこそ、素直で一途な若者の眼

《日本映画》
『ハッピーアワー』 内容も丁寧で盛りだくさん、意思疎通の難しさ 
『永い言い訳』 何はともあれ自分のことで精一杯、だめなの?
『聲の形』 辛い記憶が蘇る、ふるさと大垣の色が満載だから
『この世界の片隅に』 日々の生活、きちんと生きていくことが大切
『君の名は。』 忘れられないことがあり、繋がっていることがある


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映像も音楽も記録媒体の進化と再生機械の変化はめまぐるしい。
毎日おびただしい情報が世間と身の回りをやかましく駆けている。
ラジオ、テレビ、新聞や雑誌は、インターネットに踊り踊らされている。
スマホもタブレットも持っていないけど、便利な世の中になったものだ。

映画は映画館でみること、を本分としてきたのだが最近は降参。
名古屋の映画館(スコーレ・名演・伏見ミリオン)は遠いし時間も金もかかる。
刈谷日劇さんはともかく、TOHO東浦、MOVIX三好、安城コロナも同じく。
ケーブルテレビでの放映をビデオやHDに記録するのもやめた。
YouTubeなんてあんな違法でがさつな映像をよくもまあ見ていたものだ。
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今やすっかりNETFLIX生活に浸っている。
いやはや、便利な世の中になったものだ。
面倒な手間がなく、観たいときに即、その世界にひたれる。

新作は確かに極めて少ない、それはまるで不満。
だから流行や日進月歩の映画業界の動きにはまるでついていけない。
どうしてもリアルタイムで観たい作品のみ、重い足を映画館に運ぶ。
それ以外は、いいことの方がうんと多い気がする、今のところ。

例えば『シング・ストリート』を観たとき。
同じジョン・カーニー監督の以前の作品をふたたび観たくなった。
『はじまりのうた』と『ONCEダブリンの街角で』をゆったりと鑑賞。

同じく『君の名は。』のとき。
『ほしのこえ』『言の葉の庭』『雲のむこう、約束の場所』『星を追う子ども』
『秒速5センチメートル』などを一気に。

同一監督作品での追求あり、役者で過去の作品を見直すこともできる。

映画だけでなくドラマもあるので、これこそ一気に見られる喜び、というか。
『闇金融ウシジマくん』は初期映画2本とシリーズドラマでその世界観に納得。
『のだめカンタービレ』は映画もドラマも全作、これはくりかえし見ている。

イーグルスやボブ・マーレーも何回も見て、音楽以外のことがよく分かった。
動く映像という芸術環境ビデオも、何かをしながらの癒しで使う。

以上、どこかのまとめサイトのような、広告一辺倒になってしまって、反省。

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ということで、まとめ。

よい大人は映画館できちんと入場料を払って映画を鑑賞しましょう。

Netflixは作品数こそ多いけれども新作や人気作品はまだまだ少ない。
かつて、料金を払ってまでして見るのはどうか、というB級作品が多いのも確か。
自分のような時間だけは豊富にある下層老人には便利な選択かもしれない。
あくまでも今のところは・・・、飽きっぽい自分のことだから先はどうなることか。

付録、今年の電影タイトルで遊ぶ。

「永い言い訳」ではなく「この世界の片隅に」「聲の形」で「pk」を。
「怒り」を忘れた「君の名は。」?
「レヴェナント」いつも「ハッピーアワー」「放浪の画家ピロスマニ」。
おーい、「64」(無視)するなよ。

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2016年6月12日 (日)

映画『若葉のころ』(110分)、2015年、ほか

映画『若葉のころ』(110分)、2015年

製作総指揮:リャオ・チンソン
監督・原案:ジョウ・グータイ
脚本:ユアン・チュンチュン
出演:ルゥルゥ・チェン、リッチー・レン、シー・チー・ティエン、アリッサ・チア
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『台北に住む17歳の女子高生・バイは、ピアノ教室を営む母・ワンと祖母の三人暮らし。
ある日、ワンが交通事故に遭い意識不明の重体となってしまう。
そんな折、ワンのパソコンに未送信のまま保存された一通のメールを見つける。
それはワンが17歳の頃の初恋の相手であったリンへのメールだった。
時を同じくして、設計事務所で働くリンは、実家の部屋からビージーズの
「若葉のころ」のレコードを見つけ、高校時代のことを回想し始める。』

先週は観たい映画がたまっていて六本の作品を続けてみることになった。
『海よりもまだ深く』、刈谷日劇でヘルツォーク特集の『フィツカラルド』『アギーレ・神の怒り』、
伏見ミリオンで『団地』『マイケル・ムーアの世界侵略のススメ』、そして名演で『若葉のころ』。

『海より~』は先述、『団地』は大阪弁の間のとりかたが絶妙というか上手いの一言、
『マイケル・ムーア~』は得意の展開で突撃インタビューから最後はきちんとオチをつけるもの、
どちらも評判どおりというか期待通りのできばえで、観て満足し納得のいくものだった。

印象度合いから言えば、刈谷日劇のヘルツォーク作品が飛びぬけている。
今から数十年前のアマゾンの奥地で、350トンの大きな船が人力と知恵でもって山をのぼる、
そしてなんともっとさらに恐ろしい、下る、ということをCGなどなしでやってのける。
オペラに取りつかれた寺田農似の男が、蓄音機で文明開化よろしく進出する。

また、踏み外せば数百メートルの谷底へまっさかさまのアンデス山中の狭い険路を、
大名行列よろしく鎧甲冑姿で歩き、偉い人については籠に載せて運んでいる。
身分が高いからといって籠に載せられているほうがずっと危険でリスクは高い。
猿投山の武田道を昔、毎日、籠で通った神官よろしく、自分の足も使えない、とは。

そしてこの『若葉のころ』。
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作品としての出来栄えはそんなに秀でたものではないが、感情はしっかり揺さぶられる。
というか、なつかしの音楽がからんだ学園もの、初恋ものがノスタルおじさんにはたまらない。
港台映画というのも、なおいい。
香港映画でおなじみのリッチー・レンて、台湾の彰化県の出身だったのか。

作品の音楽や背景として使われる、ビージーズの「若葉のころ」。
個人的にはホセ・フェリシアーノがカバーしていたそれが印象に強い。
学生の頃、I先輩が持っていたLPで、古いステレオでよく聞いたものだ。
あの歌詞は、英語が得意ではなくても、だれもが和訳に挑んだにちがいない。
これとかサイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」とか。
教科書以外で英語の原語で分かる、なんて機会はそんなにあるものではなかった。

そこら辺は国は違っても同じというか、憧れの外国語という感じで使われている。
歌詞の意味に踏み込んで、さらに、自分の心情をも表現している。
そんな母の昔の恋に、娘が願いを込める。
それはともすると感傷に流されやすいものだが、それ以上に重いものがどんと立ち塞がる。

ひとつは、現在17歳のバイの身近で起こること。
いつも一緒、トイレに行くのも同じという一番の友との間で、修復不能の事件が起こる。
三角関係だからとか、誤解を解くとか、あやまれば解決できる問題ではない。
これがあったから悩み、母の恋のことも考えるようになったかもしれない。

もうひとつは、母が17歳のとき、母に気持ちを寄せるリンに起こった出来事。
当時の台湾は韓国と同様、戒厳令とかがあった時代で、自由はないに等しい。
政府や学校・先生が言う事は絶対で、逆らう事も意見を言う事もできない時代だ。
体罰も当たり前で、どんな理由があっても、どんなに理不尽なことでも受け入れる。
そこに、あの若い憧れの英語の先生が、生徒指導の鬼教師とアレだから、ね。
それをなんと、生徒指導室の続き部屋で目撃する、だなんて衝撃的すぎるわ。
とも思うが、世の中の悪というのは、見かけというか表面はおよそきれいなものだ。
規則やきまりにうるさくて、それを振り回す輩こそ、裏で何をやっているかわからない。
そんな大人の世界の汚いものに触れ、追われるように去っていったリン。

数十年後、あるコンサートの会場で会う、ふたり。
リンは彼女を連れていて、ワンは娘のバイと一緒に聴きに来ていた。
これが、映画の冒頭シーン。

さてその後は、どうなるんでしょう。

予告編や作品中でも、またスチル写真でもはっとする場面が多く見られる。
監督がMV制作などに長けた人だからのよう。
それなりに意味があって、そのシーンに心が奪われてしまう。
でも屋上からレコードを円盤よろしく投げるシーンて、どんな意味があるのか。
とても象徴的な場面だが、レコードは権力に抵抗して捨てる対象ではない。

学校生活というのを物語として感傷的にみると、それは確かに面白い。
でも実際は、思い出したくないこと、傷ついたこと、苦しいことも多かったはず。
それらをひっくるめて記憶のオブラートに包めば、何でもアリだけどね。

お勧め度は ★★★ 名演小劇場にて

ちなみに先にあげた作品群にも印をつけると
『団地』 お勧め度は ★★★★ 伏見ミリオン座にて
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『マイケル・ムーアの世界侵略のススメ』 ★★★ 伏見ミリオン座にて
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『フィツカラルド』 ★★★★ 刈谷日劇にて 残念ながら上映終了
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『アギーレ・神の怒り』 ★★★ 刈谷日劇にて 残念ながら上映終了
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2016年6月 6日 (月)

映画『海よりもまだ深く』

映画『海よりもまだ深く』(117分)、2016年

監督・脚本 是枝裕和
音楽 ハナレグミ
出演 阿部寛 真木よう子 小林聡美 リリー・フランキー 樹木希林
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『笑ってしまうほどのダメ人生を更新中の中年男、良多(阿部寛)。
15年前に文学賞を1度とったきりの自称作家で、今は探偵事務所に勤めているが、
周囲にも自分にも「小説のための取材」だと言い訳している。
元妻の響子(真木よう子)には愛想を尽かされ、息子・真悟の養育費も
満足に払えないくせに、彼女に新恋人ができたことにショックを受けている。
そんな良多の頼みの綱は、団地で気楽な独り暮らしを送る母の淑子(樹木希林)だ。』

だれもがみんな自分の望むような人生を送れているのだろうか。
子どものころ夢見た、なりたい大人になっているのだろうか。
そんなこと、考えたようでいつの間にか忘れ、気がついたら大人になっていた。
自分はまだ本気を出していないだけ、と思っていたら、老人になっていた。

15年前に文学賞をとった良多は、多忙で雪隠詰めの人気作家になりたかったのか。
稼ぎが多くて、余裕の人生で、両親に一戸建ての家をプレゼントしたかったのか。
それらも含めて家族愛いっぱいで、ずっと子煩悩な生活を送りたかったのか。

そんないつまでも大成できない息子をずっと気遣う母親がいじらしい。
自分の息子や娘がどんなに年齢を重ねても、親は常に彼らの親であり続ける。
娘や息子に自分の姿や、相方の父親の影を見てしまう。
息子に、いい加減でできのよくなかった父親を重ねては、嘆く。
なりたかったがかなわなかった今の自分の不幸を、そこに見てしまう。

良多の嫁は、自分と息子の生活があるから、いつまでもそんな妄想に付き合えない。
何度も言い、約束しては裏切られ、その度に愛想を尽かし、泣かされる。
子どもは父親が好きなようだが、将来のことを考えると、決断はよかったはず。
今付き合っている相手は、良多とはまるで正反対のやり手でしっかりものだ。
自分にとってはいいかもしれないが、息子はついていけなさそうでもある。
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そんな時、月に一度の父子面会で台風に遭遇、良多の実家に沈殿する。
良多はともかく、母親の良多を気遣い味方する気持ちは隅々にまで及ぶ。
これぞ分かりやすいまでの子を思う親の気持ち。
それを同じ子を持つ母親としてわかる響子ではあるが、あくまで冷静で。
良多だけはいつまでも子どものようで、自分の息子に注ぐ愛というかなんというか。
ああ、こんな時間を父親や母親と持てた子どもは幸せなんだろうな、と思わせる。

それも幸せだろうが、きちんと自活できる毎日を送れるほうがもっと大切だろうな。
世間では。

お勧め度は ★★★★ TOHOシネマ東浦にて

芸達者な役者さんを迎え、微にいり細にいり丁寧な是枝監督の作品。
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2016年5月15日 (日)

映画『アンダーグラウンド』

映画『アンダーグラウンド』(171分)、1995年

監督・脚本 エミール・クストリッツァ
音楽 ゴラン・グレゴヴィチ
出演 ミキ・マノイロヴィチ ラザル・リフトフスキー ミリャナ・ヤコヴィチ
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『1941年、セルビアは首都ベオグラード。ナチス・ドイツがユーゴ王国を侵略。
策略家のマルコ(ミキ・マノイロヴィチ)は単純な電気工のブラッキー通称“クロ”(ラザル・リフトフスキー)を誘い、チトーの共産パルチザンに参加、ロビン・フッドまがいの活躍で義賊と評判になる。マルコは弟で動物園の飼育係だったイヴァン(スラヴコ・スティマッチ)やクロの妻ヴェラ(ミリャナ・カラノヴィチ)たち避難民を、自分の祖父の屋敷の地下室にかくまう。まもなくヴェラはクロの息子を産んで死ぬ。クロは戦前から女優のナタリア(ミリャナ・ヤコヴィチ)と不倫の仲だが、彼女は独軍将校フランツ(エルンスト・ストッツナー)の愛人になった・・・。』

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かつて東欧のバルカン半島にはユーゴスラビアという国があった。
第一次世界大戦の火の元になり、その地域全体が戦場になり、侵略され続けた。
七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、
そしてそれらがユーゴスラビアという一つの国にまとまっていた。
チトーという偉大な指導者の下になんとか。
彼の死とともにタガが外れたように崩壊し、分裂し、内乱戦争状態に陥った。
現在もなお緊張感は続き、一触即発の情況は変らない。
だからなのか、オシム監督のような智恵があって名言が吐ける人が生まれる。
そんな人がいないと、憎しみの怨嗟が過激に暴走する。
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この作品はそのバルカンの地が舞台になっている。
上映時間も長いが、それ以上に内容がぎゅうぎゅうづめのてんこ盛りでドタバタしている。
作品全編を通して流れる独特のリズムとブラス音楽が緊張感を強いるし、煽り立てる。
ストーリーはきちんと章立てしてあるが、つながりや展開でこんがらがりやすい。
死んだはずの人物がゾンビったり、貴重な歴史上のフィルムに手が加えられたりする。

戦争下で庶民が生きていくということは当然、とんでもない生活を強いられるわけで、
侵略者が町を制圧すれば、卑劣な生き方も正当化されるとも。
裏切り、寝返り、だましだまされの毎日では、その瞬間を生き延びることに精一杯。

そんな情況をずっと続けているバルカンの人々はそれなりの知恵を持つようになるわけで、
家族や知り合いとでその瞬間を如何に楽しみ、乗り越える術に力を注ぐ。
そんなぞっとする恐怖を、クストリッツァ監督はユーモアで包んで笑い飛ばす。
爆弾が降り注ぐ町の真ん中で、壁や天井が崩れても、目の前の食事に集中する。
男女の三角関係は火事の元だけど、熱愛の感情は抑えずに欲望のままに突き進む。

とにもかくにも、せりふはひとつで十分。
「許してくれ」
「許そう、でも忘れないぞ」

フィナーレ、大地が裂けて、彼らの踊り楽しむ地が離れ流されていく。
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お花畑で楽しむ人々はそこでずっと遊び続けるがいいのさ、でも沈むだけなのよ、てか。
残されたというか、切り離した大地の人々は、楽しむ術も知らず、ってか。

お勧め度は ★★★★★ 刈谷日劇にて
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ウンザ!ウンザ!クストリッツァ
情けなくもこの祭りに参加できなかった地方住人にとって、
この刈谷日劇での上映サービスはうれしい限り。
どんなに忙しくて追い詰められていても、無理してでも見ておかないと、
次は五年後ぐらいになってしまうかも。

この映画はかつて一世を風靡したテント演劇や小劇場、アングラ劇団の世界をみるようだ。
大久保鷹が『アザリアのピノッキオ』の最終場面でやりたかったのはこんなブラス隊だったかも。
マルタ役のミキ・マノイロヴィチがこの作品では金城武に見えてしまって、色男は似る。
いろんな記憶や胸のつかえがぐるぐる刺激しあって、ますますこんがらがってしまう。


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2016年5月 9日 (月)

映画『山河ノスタルジア』

映画『山河ノスタルジア』(125分、PG12)2015年

監督・脚本 ジャ・ジャンクー
撮影 ユー・リクウアイ
出演 チャオ・タオ チャン・イー シルヴィア・チャン
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『1999年、山西省汾陽。
小学校教師・タオは、炭鉱で働くリャンと実業家のジンシェンから想いを寄せられていた。
やがてタオはジンシェンからのプロポーズを受け、最愛の息子・ダオラーを授かる。
2014年。タオはジンシェンと離婚し、一人汾陽で暮らしていた。
ある日、タオは数年ぶりに離れて暮らすダオラーと再会するが、
彼がジンシェンと共にオーストラリアに移住することを知らされる。
2025年、オーストラリア。
19歳のダオラーは長い海外生活で中国語が話せなくなっていた。
自らのアイデンティティを見失う中、中国語教師ミアと出会い、
かすかに記憶する母親の面影を探し始める・・・。』

過去、1999年。
いわゆるひとつの三角関係というやつ。
三角は安定した形だから安定した人間関係になるかといえば、昔から争いの元。
タオは、優しいが弱気のリャンよりも押しの強い生活力のあるジンシェンを選ぶ。
自分をめぐる男たちの憎しみの対立に気づかないタオは、三角関係の友情を信じている。

縦横が1対1の正方形の画面に、潤いのないすさんだ中国の大地が写される。
これぞ以前からジャ・ジャンクーが描いてきた大陸の渇いた空気。
まったく豊かではないが、みんながみんな助け合い、真剣に生きている。

現在、2014年。
タオの選択は、世間的にも自分としても当座はうまくいったらしい。
いわゆる勝ち組らしい、豊かな生活が始まる。
実業家としてのジンシェンはやり手で、一人息子に$にちなんでダオラーの名をつける。
そのうちタオと離婚し、一人息子の親権をもって田舎を捨て、都会へ出る。
稼げるだけ金を稼ぎ、新しい女房をもらい、一人息子に贅沢な金を注ぐ。
その結果が、欧米化、オーストラリアへ移住。

未来、2025年。
どんくさい田舎や中国人の生活の面影から離れ、金はまだまだ充分にある。
いわゆるセレブで、豊かそうな、洗練された生活にのめりこんでいた。
金儲けが得意なジンシェンは成功するが、英米語は話せず、親密な同胞もいない。
息子のダオラーはこちらでの生活にどっぷりはまり、母語を忘れ、英米語だけ。
ということで少しずつお互いの共通語がなくなり、つられて父子の会話もなくなっていく。
親子で話すことばが異なり、意思疎通ができない現実(未来)。

画面は映画サイズになり、メルボルンの潤いのある景色が写される。
「12人の使者」の過去・今に意味づけがされている。
ドライブウェイの景観は、同じオーストラリアのパースではないか、と。
大学で、たくさんの金持ち中国人の子弟にわざわざ中国語を教える教師の登場。
シルヴィア・チャンは存在感はあるし、重要な位置づけだけど、なぜか不安定。
唐突というか、この未来2025年の描写がジャ・ジャンクーらしくない。
こんな想像は今に始まったことではないし、ジャ・ジャンクーほどの監督が今やることでもない。
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侵略された国や植民地における言語については歴史的事実で忘れてはならないこと。
ふだん話すことばが禁止され、征服者が自分たちのことばを押し付けた。
名前や習慣が強制的に変えられたことも、つい数十年前に行われたこと。

意識しないで自然に話す(話せる)言語のことを、「母語」という。
「母国語」と表現されることもあるが、じっくりと考えてみればその間違いに気づく。
今、自分が話し書いている言語は日本語で、それが自分の母語である。
生まれたときから周囲の人々、とくに母親が話していたことばがそのまま母語になる。
それを聞いて育ったからそれが母語で、それがたまたま日本語だった、ということ。
日本語が母国のことばだから、日本語が母国語だということではない。
言語を語るとき、その違いをはっきり意識しているかどうかはとても重要なこと。

小学校のとき国語の教科書で「最後の授業」というのを習った記憶がある。
フランスとドイツの国境近くにあるアルザス・ロレーヌ地方の、ある学校でのこと。
フランス語の教師の国語の授業が、戦争に負けたことで、その日が最後の授業になり、
次の日からはドイツ語の教師が新しくやってきて、国語はドイツ語になる、と。
でも実際にアルザス地方で話されることば(母語)はアルザス語だったのに、という。

2025年の某所では、侵略も強制もされていないのに自らすすんでそれを受けいれる。

あることを押し付けられた、と言いながら、他の同様なことには眼をつぶり、
そんなたくさんのことを進んで卑屈に受け入れている人や国もある。

お勧め度は ★★★  伏見ミリオン座にて

ジャ・ジャンクーもツァイ・ミン・リャンと同様、かつての毒気がなくなりつつあり悲しい。
「お前ら、いったい何をやってるんだ」
という、昔の作品の連中が、国のありようとともに変わっていってしまったからって。

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2016年4月30日 (土)

映画『レヴェナント:蘇えりし者』

映画『レヴェナント:蘇えりし者』

監督:アレハンドロ・G・イニャリトウ
脚本:マーク・L・スミス アレハンドロ・G・イニャリトウ
撮影:エマニュエル・ルベツキ
出演:レオナルド・ディカプリオ トム・ハーディ
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『アメリカ西部の広大な未開拓の荒野。
狩猟中に熊に喉を裂かれ、瀕死の重傷を負ったハンターのヒュー・グラス。
狩猟チームメンバーのジョン・フィッツジェラルドは、
そんなグラスを足手まといだと置き去りにしたばかりか、
反抗したグラスの息子も容赦なく殺してしまう。
グラスは、フィッツジェラルドへの復讐心だけを糧に、
極寒の大自然の中、壮絶な追跡の旅を開始する・・・。』

どこから飛んでくるのかわからない鋭い矢。
位置と統制がとれていないから恐怖と不安の戦闘場面。
先住民のインディアンの攻撃に浮き足立つ。
これって、すさまじい戦闘場面を再現した『プライベート・ライアン』に通じる。

極寒の地を進んでいるのに、足元には絶え間なく水が流れている。
ずぶ濡れになりながら進んでいく、それだけで低体温と凍傷だからもっと怖い。
この地は、普通に歩き進むことができるだけで驚異的なことだと思う。

さらにそこに子連れのグリズリーが現れる。
巨漢のグリズリーはグラスをぶちかまし、押さえつけ、鋭い爪で掻きまくる。
まるで悪どい意思をもった人間のようにしつこく執拗に爪をたて、弄ぶ。

狩猟グループとしては、獲物の皮の運搬と自分たちの生死だけでも大変。
でも、仲間としてというよりも現地のガイドとして重要な存在のグラスなのだ。
リーダーは必死に一計を案じる。
見捨てるのではなく、少しでも仲間としての扱いをする。

フィッツジェラルドの存在や行動は、とてもわかりやすい。
はじめから利己的で反抗的だ。
あの目つきや態度、どこかで見たような容姿で格好だと、思い出した。

「ホテル カルフォルニア」で得意そうにギターを弾き、自らの音に酔いしれ、
眼をむいているジョー・ウォルシュ(イーグルス)だ。
すると、雪解けで増水した弩級の瀬をいともアクロバティックにカヌーで漕いでいた
グレン・フライをも思い出してしまった。

荒野を切り裂き何段にも滝をつくり流れるあの川のすさまじさ。
そこで木の葉のようにもまれて流されるグラス。
いくら自然界で生きている能力の高い人間とはいえ、驚異的。
だからこそ暖を求めて焚き火では足りず、馬の腹を寝袋にする!!

そこまでできるのはとにもかくにも、息子を殺した者に対する復讐心。
そのためだけに、とことんそこまでやるか?
やって、どうにかなったか?

撮影映像の向こうで恐ろしい雪崩が起きていたりで、ただただ銀幕に唖然。
あんなところで数ヶ月もロケーションだって、それもすごい。
超広角レンズのカメラで撮影だそうで、銀幕風景がとにかくすごい。
すべてに最高のものを求めて投資され創られる作品って、こりゃ参った。
たまにはこういう大作を見るべきなんでしょうね

お勧め度は ★★★★  刈谷日劇にて
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