映画『ワン・セカンド 永遠の24フレーム』
映画『ワン・セカンド 永遠の24フレーム』
監督・脚本:チャン・イーモウ
出演:チャン・イー、リウ・ハオツン、ファン・ウェイ
2020年、中国語、103分、原題「一秒神」
『文化大革命時代の中国が舞台。広大な砂漠のなかにある村。
フィルムの中にたった1秒だけ映し出されているという娘の姿を追い求める父親と、
幼い弟との貧しい暮らしを懸命に生き抜こうとする孤独な少女。
決して交わるはずのなかった2人が、激動の時代の中で運命的に出会い、
そして彼らの人生は思いがけない方向へ進んでいく・・・。』
テレビも、もちろんYouTubeもなかったころ。
そんな映像娯楽の少なかった時代に、人々は映画に熱狂した。
数か月に1回、巡回してくる映画の日は、村をあげての祭りの日。
そんな日を待ち望む人々にとって映画を上映できる映写技師は殿上人。
どんな無理難題を言われても、素直に従い、みんなで協力する。
それぐらい「映画」は大切で素晴らしいモノだった。
いろんなフィルムがたくさんあるわけでなし、同じ作品でも喜んで見た。
本編前のニュース映画だって宣伝広告とわかっていても貴重な情報源だ。
そんな地方の様子を知らせる映像の、その人々の中に一瞬映った娘。
それが昔、生き別れした娘の成長した姿だと知らされた父親。
彼の頭の中で、少ない記憶と妄想がとんでもなく増幅されたことだろう。
実際の娘に会うのではなく、
本当の娘らしいというだけのその映像を求めて彼はなんでもやってしまうのだから。
一方、だれもが待ち焦がれる映画の、そのフィルムを盗む女。
身体も弱く、勉強だけが生きがいの弟のために借りた燭台。
当時は電灯や明かりもそんな田舎ではとても貴重だった。
その貴重な燭台の覆い笠が、おしゃれにフィルム片で作られていた。
それをなくしてしまったのだから、現物で作って弁償するしかない。
ここらへんは、思い出して書いていても無理のある筋立てだ。
貧しい姉弟をいじめるいじめっ子たちというのは、如何にも現代的だし。
それでもなおチャン・イーモウ監督や当時を知る多くの中国人にとって、
それは今はとても豊かになった人々にとっても、
当時、どうしてあれだけ映画に熱狂できたのか、という記憶の物語なのだ。
映画だから作り物だということはわかっている。
物や道具、ロケ地も時代考証するのは当たり前のこと。
でも作り物ではなく、貴重な映像資料を見ている感じになる。
はじめは藤原竜也にしか見えなかったあの貧しい娘が、
時を経て現れると、
純真無垢な娘、に変身している。
たった1秒の面影が、現実には・・・化けている。
これは映画ファンの願いでもあるけど、監督の夢なんだろうな。
だれもが虜になった女優たちの再来ではないか。
コン・リー、チャン・ツィイー、ドン・ジェ、・・・
こうして女優伝説は引き継がれていく。
またあの高倉健さんが、中国で圧倒的に人気がある理由にも納得。
この作品の時代から少し経ったころ、あのスクリーンに出ていたんだから。
それを当時、見ていたのがチャン・イーモウ青年。
あれから半世紀。
映画はずっと人々の傍にいてくれる、もちろん自分の傍にも。
ありがたいことだ。
今年5月に封切られ、7月に刈谷日劇でみる。
機会があれば、お見逃しなくどうぞ。
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